大阪道頓堀 出世地蔵尊~西陣の金襴織屋の金襴探し

こんにちは。
京都西陣の岡本織物株式会社、西陣の地で金襴と言う織物を織り続けております。
金襴と言う布地は主に、神社仏閣系の荘厳に使われる布でして、中々一般の方々がお目にすることは無いと思います。というか、弊社に金襴地は沢山あっても製品となった「金襴製品」を目にすることはあんまりないのです。私でも。
と言う事で「実際に市井で使われている金襴を目にしたい!」という思いで神社仏閣、お地蔵さんなどをウォッチしております。
が、中々目にしないのです・・・。

今日は道頓堀の出世地蔵尊さんで金襴を目にしました☆

出世地蔵尊さんと言えば大阪天王寺にも出世地蔵大菩薩さんがいはりましたよ。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

こちら、今は道頓堀2丁目となっていますが、町名が変更される前は「九朗右衛門町」と呼ばれていました。宗右衛門町は耳にしたことがありますが、九朗右衛門町は初めてやな。江戸時代には北側の宗右衛門町と対にして二大花街として盛り上がっていたそうです。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

こちらの朱地の金襴のおべべを身にまとったお地蔵さんは「ふれ愛地蔵尊」さん。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

朱地の菊笹小花散らし紋。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

道頓堀「出世地蔵尊の由来」

元和元年(1615年)道頓堀川が生まれました。大阪が江戸幕府の直轄領になった時に、道頓堀川の北岸に布袋、宗右衛門町、御前、久左衛門、南岸に港、吉左衛門、立慶、そして、地蔵尊が生まれた九朗右衛門(現在の道頓堀2丁目)と町屋の建設が進み、川八町が誕生しました。
承応2年、南岸に芝居名代五棟が公認されてからは、歌舞伎、義太夫、見世物等の小屋が並び、五座の櫓が建って、櫓町と称される芝居小屋として賑わいました。
元禄12年にはいろは47軒水茶屋が軒を連ね、北岸の宗右衛門町、南岸の九朗右衛門(この地)が二大花街として町人文化の核となります。町の発展に伴い多くの住人が出世を願って地蔵尊に願掛けに訪れるようになりました。しかし昭和20年の大空襲で町が焼け野原となり、地蔵尊の行方もわからなくなりました。
ところが終戦後、数年たったあるひ、この地蔵尊が土の中からみつかり、新しく「出世地蔵尊」と命名されて現在地に祀られました。再出現から今日に至るまで、出世(上に昇る)を願う、多くの善男善女が参詣しています。出世や栄達に御利益があると評判の西道頓堀新戎橋の新名所です。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

と、書いてありました。

こちらは水子地蔵。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

地蔵菩薩さん。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

こちらが出世地蔵尊さんだと思います。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

何故かと言うと「出世地蔵尊」と書いた提灯に囲まれてはったから。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

お地蔵さん達から見える景色。午前中の10時ごろです。中途半端な時間帯なのでとても静かです。酒屋さん達が地道に配達をしている景色を見かけました。お店はまだまだおねんね中。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

河内おとこ節を紅白で何度も聞いた事がある、歌手の中村美津子さんが「大阪大好きや~出世地蔵に手を合わせ~」というタイトルでこの地の出世地蔵について歌っています。

どうせ一度の人生やから
パッと咲かそうデカい花
七ッこけても八ッで起き上がれ
厚い人情の新戎橋

云々かんぬん。という歌詞でございます。

これが道頓堀川。阪神タイガースが優勝したときにはカーネル三ダースさんが投げ込まれ、時々、若者がトチ狂って飛び込んで無くなり、恋愛、失恋、人情、悲喜こもごもを見てきた運河です。川の向こう側に見えるのがドンキホーテ名物の楕円形の観覧車があります。

大阪道頓堀 出世地蔵尊
大阪道頓堀 出世地蔵尊

西陣の西陣織屋で金襴を日々織っています岡本織物、身近に金襴製品を、という思いで「テーブルランナー」を作りました。どうぞご覧下さい。

西陣金襴 散雲丸龍テーブルランナー
西陣金襴 散雲丸龍テーブルランナー

クラッチバッグ等も作っております。弊社の金襴地をこのように使えます。

西陣金襴正絹 雪輪紋様 がま口クラッチバッグ 正面
西陣金襴正絹 雪輪紋様 がま口クラッチバッグ 正面

素敵な香りと本金のきらめきを胸元や袂、ポケットに潜ませてと言う思いで作りました。匂い袋でございます。

金襴織屋の匂い袋の包装
金襴織屋の匂い袋の包装

今日の織屋の賄いは塩鯖を焼いたんになますでした。

塩鯖を焼いたん
塩鯖を焼いたん