新宿二丁目の子育て老婆尊 正受院にて~西陣織屋のお寺見物

こんにちは。京都 西陣金襴の岡本織物です。

今日のブログは新宿二丁目、靖国通り沿いにある正受院さん。
正式には明了山正受院願光寺という浄土宗のお寺さんです。

子育て老婆尊 正受院
子育て老婆尊 正受院

なんと 幕末の会津藩主、松平容保が葬られた寺院でもあるそうです。今ではお骨は会津若松に行ってしまったので残っていません。

松平容保といえば、香取慎吾君が近藤勇役をやっていたNHKの大河ドラマ「新撰組!」にて松平容保役をやっていた筒井道隆さんが印象深いです。大河ドラマなんてほとんど観たことないんですがこの新撰組は2回に一回くらいの割合で見ていました。
っていうか二回に一回じゃ内容はわからなくなっているのでながら見ですが。
あら、2004年の放送だったんだ。結構前ですね。つい最近の気がします。

子育て老婆尊 正受院
子育て老婆尊 正受院

奪衣婆(だつえば)像が有名。だけど「子育て老婆尊」と書いてありますね。奪衣婆では人聞き悪いからかしら。

子育て老婆尊 正受院
子育て老婆尊 正受院

奪衣婆(だつえば)は、三途川の渡し賃とされている六文銭(だから今でもお葬式の時にお棺にお金を入れますよね。)を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取るとされている老婆。
脱衣婆、葬頭河婆、正塚婆(しょうづかのばば)とも言われています。
奪衣婆が剥ぎ取った衣類は、懸衣翁(けんえおう)という老爺が衣領樹(えりょうじゅ)という三途の川岸に生えている樹にかけます。
衣領樹という樹は衣服をかけるとその衣服を着ていた人の罪の重さによってしなり具合が違うという「罪の重さ」を計る樹です。なのでその重さによって死後の処遇を決めるとされています。

奪衣婆は閻魔大王の妻であるという説もあるみたいです。
一昨日のブログ春の新宿二丁目「大宗寺」で江戸時代に思いをはせるの奪衣婆さんよりも優しいお顔です。

江戸時代末期には民間信仰の対象とされて奪衣婆を祭ったお堂などが建立されたようです。
民間信仰における奪衣婆は民間信仰だけに色々と変化。疫病除けや咳止め、特に子供の咳止めに効き目があるといわれました。

現代の民間治療。咳止めには「葱。葱の硫化アリル」ですよ。咳止めに玉ねぎ!副作用ゼロ!←どうぞお試しください。4種類も抗生物質変えたのに治らなかった咳がよくなりました。友達にも大絶賛されてます。

子育て老婆尊 正受院
子育て老婆尊 正受院

この正受院は奪衣婆を祀る寺として知られるそうです。(小野篁(おの の たかむら 802年~853年)製作との伝承があります)
正受院の奪衣婆尊は、民間信仰の(咳止め婆)としてお参りした後、咳が治ると綿が奉納され、像に綿がかぶせられたことから「綿のおばあさん」「綿のおばば」などとも呼ばれました。
確かにふんわりと真綿を被ってはりますね。
私、これを拝見した時にこんな格好で寒いから真綿をかけてるのかと思いました。どんな格好かよく見てくださいませ。

真綿といえば、私が思い出すのは小説家の宮尾登美子氏が「過保護に育った子供時代」に肌着の上に一枚薄く真綿を貼り付けられてその上から更に着物を着させられた、と何かに書いてありまして、「え?あんな綿を服の下に重ねていたら夕方になったらずるずるになりそう・・・と思ったものです。温かそうですね。

このブログを書くまで奪衣婆だと知らなかったので「このおばあちゃんはたぶん子沢山な上に近所の子達にも乳をあげていたからこんなおっぱいになっちゃったんやわ~」って思ってました。
志村ケンのおばばさまのようです。

幕末には、奪衣婆像が「正受院に押し入った泥棒を霊力で捕らえた」とか「綿に燃え移った火を自ら消し止めた」といった噂が広まりました。
不安な時代だから色んな噂が押し寄せていたんでしょうね。
そういうことより、嘉永元年(1848年)にはお参りするお客さんが正受院へ押し寄せます。物見高い江戸っ子です。
あまりに盛況であったため正月と7月16日以外の参詣が禁じられてしまいまいた。
歌川国芳などの錦絵作家より、綿をかぶった姿の奪衣婆を描い絵が多数発行されて現存しているようです。

今は昔な感じ。私が行った時はひっそりしていました。

子育て老婆尊 正受院
子育て老婆尊 正受院

もろ街中ですが、除夜の鐘はつかはるそうです。
この梵鐘は、昭和17年に太平洋戦争による金属供出のため徴収された方と思われていました。
戦後にアメリカのアイオワ州立大学内海軍特別訓練隊が所有していることが判明しました。なぜでしょう・・・。
そうして良いことに昭和37年に正受院へ返還されました。
なのでこの梵鐘は「平和の鐘」と呼ばれています。

子育て老婆尊 正受院
子育て老婆尊 正受院

針塚もありました。横には小見外次郎さん(和裁で唯一の人間国宝にならはったお人)の胸像。
私は和裁を習うまで「針供養」を知らなかったのですが、京都では折れてしまった針をとっておいて一年に一度針供養の日に、こんにゃくにさす、というのを聞いたことがあります。
なぜ、こんにゃく?それは今まで一生懸命布を苦労して縫っていた針さんに柔らかいものに刺さってもらおうという心遣いかららしいです。

2月8日の針供養の日に正受院では豆腐に針仕事に使った針を刺して、きらびやかなお稚児さんなどで「御練り行列」といって近所を小さな奪衣婆を安置したお厨子を担いで一周するらしいです。
http://uzo800.blog.fc2.com/blog-entry-158.html
こちらに載っている「着物の形のお札」も素敵に可愛い。
縫い物好きとしては買うべきものでしたね。
今度新宿に行く事があったら買ってみます。

子育て老婆尊 正受院
子育て老婆尊 正受院

ビルに囲まれた境内。

今の世の中にこそ子育て地蔵尊は必要です。子育ては大変や~。私みたいに、親戚、隣近所の手を借りられる状態でも「キーーーーッ!!」となりますから、孤立しているお母さんたちが少しでも楽になったらいいなあと心の底から思います。

ここで断言します。3歳までは母の元で育てようという「3歳神話」はあかんと思います。周囲の手助けが必要です。一人で受胎したマリア様だって子育ては周囲の手を借りはったと思います。

ついつい、子育てについて熱くなってしまいましたが、金襴は「お婆様の座布団」に使われています。朱絹に共色で蓮の紋様ですかね。

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