西陣 岡本のブログ
こんにちは。西陣で金襴(きんらん)という絹織物を織っている〈西陣岡本〉、岡本織物株式会社です。
先日、弊社社員の子供が、テレビ朝日『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』に「西陣織はかせちゃん」として出演しました。
西陣織の博士ちゃん 『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』
その打ち合わせの時にディレクターさんから聞かれた「西陣織って何ですか?」という問い合わせに悩みました。
西陣織の定義は「西陣織工業組合に所属している企業が京都 西陣で生産した先染の紋織物」の総称です。
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糸を先に、「先染め(糸を染め分け)」して、その糸経糸を上げ下げして操作し、柄や模様を織りだす(紋織物)。それを西陣織工業組合に所属している織屋たちが京都で生産する織物が「西陣織」です。
昭和51年2月26日付で国の伝統的工芸品(経済産業大臣指定伝統的工芸品)に指定されました。
経済産業大臣指定伝統的工芸品
西陣織工業組合に所属している西陣織製造業者は、主に西陣と呼ばれる地域で製織業を行っているか、過去に製織業を行っていた所が大半です。
西陣で織物業が盛んになった理由は、公家や公卿が沢山住む御所の近くだったからです。平安時代に「織部町」という官営の高級絹織物を織る町が作られました。後に職人たちが自らの工房を立ち上げ、大舎人町(おおとねりちょう)で更に絹織物が発展します。
大舎人町では、高品質な錦や綾織物を生産し、室町時代に「大舎人座」と呼ばれる組織へと進化しました。
その後、京都で応仁の乱(1467年から1477年まで一一年間続いた内乱)が勃発し、大舎人町は壊滅してしまいますがその後、大阪の堺に避難していた職人達が、応仁の乱で西軍の陣地であった地域(現在の上京区大宮)に戻り、織物業を復活させたので、一帯が西陣と呼ばれるようになりました。その後、この地で作られる西陣織が日本の代表的な織物のブランド〈西陣織〉として発展しました。
明治以前は人が織機の上に上って綜絖を上げ下げする空引き機(そらびきばた)という織機を使って紋を織っていました。
西陣織 空引き機
明治時代になると、空引き機の代わりに、より量産できる精度の高い織物を目指し、フランスのリヨンからジャカート織機を導入しました。そのお陰で、高度な織物技術を実現・量産が可能になりました。
ジャカードについてこちらで詳しく書いています。→ https://okamotoorimono.com/hello/hello2/
西陣織 力織機
西陣織 杼
西陣織 紋図
西陣織 紋紙
西陣織 絹糸
西陣織 絹糸 染色
西陣織 絹糸 整経
西陣織 綜絖
西陣織 手織機
西陣織 検反
西陣の織屋達は、積み重ねられてきた技術を研磨し、時代時代と共に、新しい布地、求められるデザインをお客様にお届けできるよう努めています。
今後も西陣織をどうぞよろしくお願い申し上げます。
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