堀川紫明の大日本スクリーンの西側~西陣織屋の金襴探し

京都出身の会社ってけっこうあります。
はてな、任天堂、オムロン、ワコール、MK、王将、グンゼ、島津製作所、天下一品、ローム、京セラ、川島セルコン、そして大日本スクリーン製造。

京都は「西陣織」等の織物業のイメージが強いですが、京都の産業としての織物というのは非常に弱い位置にいます。(川島セルコンは織屋さんですね)

それはたぶん、家内制手工業(マニュファクチャー)かつ分業制が多いからではないでしょうか。 やはり大きくなる努力をしないとダメなわけですよね。
しかし、織物業界が一致団結して一まとまりの企業になってしまったら、同じような織物ばかりで面白くないです。 やはり西陣織の魅力は家内制手工業&分業制にあると思います。

しかし、これが高齢化のネックであるわけで・・・、と西陣織の未来を憂えてしまいましたが今日のお題はお地蔵さんです。

先日堀川紫明の大日本スクリーン裏を歩いていましてかけ布が魅力的なお地蔵さんを見かけました。

そこで写真を撮ったわけですが・・・先日って・・・、節分の頃ですね。かなり前です。すみません。
もう菖蒲湯にも入り終わったというような季節ですのに。すみません。あまり旬の関係ないお地蔵さん話なのでそこはご勘弁を。

京都に来てから大日本スクリーンの名前をよく聞きますので、「今は大きな企業になってしまって本業も変わってしまったんやろうけれど、たぶん染屋さんなんかでシルクスクリーンを使う染屋さんだったに違いない」と勝手に解釈していました。

折角なので大日本スクリーンについて調べてみました。
半導体や液晶の装置を作っている会社なんだそうです。へえ~。京都ってイメージと違って半導体とかの精密機械強いですよね。

明治元年に京都に創業した石版美術印刷会社「石田旭山印刷所」が同社のルーツ。染じゃなくて印刷だったんだ。しかも石版って。リトグラフやないですか。スクリーン・・・。で、リトグラフから写真画像の印刷に不可欠な「写真製版用ガラススクリーン」の国産化を目指し社名にも「スクリーン」とついたそうな。
ものすごく端折ってしまって社員の方々、すみません。

この会社には私と仲良くしてくれてるお友達も働いてはります。夫婦で継続して働いている人が多いので、とても福利厚生の良い家族持ちに優しい会社なんじゃないかと私は思っています。

そうしていつもお世話になっています「ヒラギノフォント」の開発もしはったそうです。これはぐっと身近になりましたね。

ヒラギノ角ゴシック
ヒラギノ角ゴシック

大日本スクリーンの西側のお地蔵さん。こちらも賑やかに色々な飾り付けがしてあって、お守りしている人の個性が伺えます。

堀川紫明 大日本スクリーン西
堀川紫明 大日本スクリーン西

鬼のお面・・・。2月の写真でした。

堀川紫明 大日本スクリーン西
堀川紫明 大日本スクリーン西

卍から垣間見える金襴地。西陣中真っ只中ですから確実に西陣織だと思います。ここらへんも織屋さんが今でこそ減ってしまいましたが昭和4,50年代は最盛期でガッシャンガッシャン織る音が響いていたはずです。

堀川紫明 大日本スクリーン西
堀川紫明 大日本スクリーン西

ご本尊を拝みたいものです。その楽しみはたぶん年に一度、地蔵盆の時に訪れるのでしょう。

堀川紫明 大日本スクリーン西
堀川紫明 大日本スクリーン西

手縫いのパッチワークなのがいいです。 そして今日は5月10日、コットンの日です。何故コットンの日なのか?コ(5)とトン(10)の語呂合わせです。日本紡績協会が1995年10月に制定しはったそうです。5月が夏物製品としての綿販売の最盛期を迎えるからという事です。ほんまに5月に?ちょっと早くないですかねえ。 コットンといえば、初めて綿花を見たときにはびっくりしました。

綿花
綿花

手紡ぎ等を仕事にしていた母が、その方面から生花状態の綿花を頂いてきたのかしら・・・とにかく「え?綿って実なの?」と非常にびっくりしたのです。すごいですよね。あの綿が弾け出てくるなんて。中にちゃんと種もあって、これを摘んで紡いで身の回りの製品になるのか、とやたらと感心した記憶があります。

綿製品、愛用しています。綿花ちゃん、遺伝子組み換えとか農薬問題とか色々と問題提起されている植物の一つではありますが、私の生活にとっても必要不可欠なものです。なるべく、オーガニックコットンを買うように努力しよ・・・。

関連記事