こんにちは。西陣金襴の織屋、岡本織物です。丹後半島でもお地蔵さん、いえいえ、金襴を探していました。ライフワークとはいえ職業病です。ありがたいことで。
丹後の有名な「天橋立」。日本三景の一つで全長3.6キロメートルの細長い砂で出来た砂州?古代より奇勝・名勝としてとても有名です。とてもさらさらの砂で出来ていまして、気持ちの良い所です。
その天橋立に行くべしと歩いているときにこちらのお地蔵さんをみかけました。バックに運河を控えとても気持ちの良いところに立っています。
風化により字は判別できません。
この磯は涙ヶ磯と呼ばれています。そしてこの近くに置かれている石が身投げ石と呼ばれています。これらには2つの伝承が伝わっています。謡曲の「丹後物狂」に関連した伝承と江戸時代後期の「丹哥府志」に記された伝承。
「丹後物狂」では岩井殿という長者が文殊大士に祈って男の子が産まれました。この子がお寺で修行していたときに父に叱責されてこの磯から身を投げて死のうとしました。しかし船乗りに助けられて九州の彦山で修行し大成。父を尋ねて故郷に戻ってきました。しかし父は子供を失ってしまった父は悔いて狂乱し、わが子を探して探して探せずに再び帰ってきたところ、文殊堂で再開するという話。
「丹哥府志」では源平合戦が舞台です。敗れて逃げてきた平家の者が、主が源氏に探されているために主の身代わりとなって源氏の目をくらますためにここで身を投げて死んでしまったと言う伝承です。
さすが丹後。岸壁に牡蠣が張り付いています。
さて、こちらは天橋立の中の史跡。「岩見重太郎試し切りの石」
天正十八年(1590年)9月20日、日本三景 天橋立で岩見重太郎の大仇討ちがありました。岩見重太郎ってどなたはん?岩見重太郎さんは「豪傑」。豪傑で有名なお方です。数十年前までは多くの方に知られていた豪傑。諸国を漫遊しながら各地で狒々(ひひ)や大蛇を退治していきます。実在の人物で講釈師らに語り継がれるにおい各地に残る豪傑の伝説と結びつけられ豪傑度が増したようです。でもそもそも講釈師の口に上るあたりからすでに豪傑だと思います。岩見重太郎の狒々退治伝説は、全国各地に残っています。
そんな重太郎さんの父、重左衛門(じゅうざえもん)さんは、小早川家の剣術指南役を巡り広瀬軍蔵(ぐんぞう)という人と試合をします。が、試合に負けた軍蔵が、卑怯なことに仲間二人と重左衛門を闇討ちにして逃亡してしまったのです。江戸時代。こうなるとお家の問題になります。藩から逃げられるともう逮捕追跡もままなりません。なので親の敵を討つと言うことで子供が仇探しのたびに出ます。これはえらい大変だったようで「池波正太郎」氏の小説で敵討ちの苦労をなんとなく知りました。
剣豪として名高い岩見重太郎が、敵討ちに出ないわけがありません。三人を探して丹後の宮津に来ましたが、三人は恐れて領主京極家に隠れていました。重太郎は京極家に頼んで仇討ちを許され、天橋立で三人を討ち倒しました。
その仇討ちの時に試し切りにしてすぱっと切り落としたと言われる石がこの石だそうです。このような石をすぱっときるなんてそりゃ、人3人くらい切るのは簡単そうです。が、、、こんなん試し切りにしたら刃が傷むやろ・・・。そして420年ほどたつのにいまだにちゃんと切り口がすぱっとしているなんてワンダフル。
さすが日本人。こういう石を見ると小銭を置かずにはいられません。
さて、やってきました。天橋立の足元に鎮座まします、智恩寺(文殊堂)さん。
明和四年(1767)九月に上棟された山門。棟梁は宮津の名工冨田庄次郎。三間三戸の二重門で、上層には釈迦如来や十六羅漢を安置しています。下は開放的でなんだか海のそばにぴったりの荒々しい雰囲気が私の好みです。いいですね。
文殊堂という事からちょっと考えてみます。文殊信仰とは何か?智慧を司る仏、文殊菩薩「梵名マンジュシュリー 」は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊で文殊は「妙吉祥菩薩」とも呼ばれます。インド中国各地で色々と名前も変え信仰されています。簡単に言えば「三人寄れば文殊の智恵」ということわざがあるように「賢さ」の象徴なのかしら。私もあやかりたし。御真言「オン・アラハシャノウ」を唱えましょう。
「海上禅業」うん。丹後やし。
釈迦如来や十六羅漢を安置している上層へ上る階段。ドキドキ☆
↑↓この荒削りっぽい力強い建築。素敵です。
「多宝塔」とは「法華経」見宝塔品第十一に出てきます。霊鷲山で法華経を説法してた釈迦がの足元から多宝如来の塔が湧き出しました。すると中にいた多宝如来が釈迦を讃嘆し座る場所を空けて二如来が並んで座ったとされることに由来しているそうです。うん。湧き出したのは解りましたが色々疑問点が・・・。どちらにしても建物としてもとても美しいです。明応10年(1501年)落成です。今から513年も前に出来上がったものが美しく残っているなんてすごいことです。
見えますか?一階の屋根と二階の間にとてもファンキーなベランダ?があります。よく見かけると言えばよく見かけるような気もするのですが、今回はものすごく気になりました。なんかここからぐるぐる回りそう。
あら、松の木に素敵なかわいらしい扇子が・・・・。
おみくじ!これはひかねばなりません。
こちらは「鉄湯船」現在は手水鉢として使われていますが本来は湯船でした。もともとは「興法寺」の物として作られたらしいと言うことが内側に鋳出されている銘文で解ります。河内の国の鋳物師「山川貞清」により製作されました。一人、二人入ったらきちきちですね。鉄だから一人が限界かな。五右衛門風呂に入ったことがありますが思ったほど周りは熱くないけれど、ぎゅうぎゅうに詰まって入ったらじりじり熱いかもしれません。
こちらが「文殊堂」。
↑↓阿吽の狛犬さん。まあ、狛犬は「阿吽」なんですけど。
波の意匠。いいですね。かっこいい~。
せっかくだから金襴を探したいところですが、この細かい格子の向こうには5色の布がかかっていてとても金襴は見えません。残念です。
地獄絵図です。いまだに地獄絵図は苦手です。
以前新宿2丁目の閻魔堂の充実した「太宗寺」をご紹介しましたが、あそこでは地獄絵図を見かけなかったなあ。
↑奪衣婆さんが服を剥ぎ取っています。そのほかにも恐ろしい景色が沢山。
気を取り直して私はおみくじ
先ほど「かわいい!」と思った扇子くじがあったのでひいてみました。さて、何かな。
何だったかは私の心の中で。
行く場所行く場所で金襴を探して「金襴ないのにお地蔵さんやお寺を見まくっている」おばちゃんです。これからもよろしゅうおねがいいたします。