引箔(ひきばく)は、和紙に金箔・銀箔・プラチナ箔などの金属箔を貼り、細く裁断して織り込む、西陣を代表する素材技法です。とくに西陣では、引箔を単なる装飾としてではなく、織物の構造そのものを成立させる素材として扱ってきました。
本ページでは、西陣の代表的な素材技法である引箔について、工程・特徴・用途を、実際に西陣織金襴の製織を行う織元の視点から整理して解説します。
西陣織の全体像(産地の成り立ち・特徴)については「西陣織とは」で詳しく解説しています。
引箔とは何か|西陣織における位置づけ
引箔とは、和紙に金・銀・プラチナなどの金属箔を貼り、それを細く裁断した素材を、主に緯糸として織り込む技法です。金属の輝きをそのまま織物の構造に取り込みながら、布としての柔らかさや耐久性を成立させる点に大きな特徴があります。一般に「箔糸(はくいと)」と呼ばれることもあります。
金糸と混同されることもありますが、引箔は和紙に金属箔を貼った「箔紙」を細く裁断した、平たい素材です。金糸(芯糸に箔素材を巻き付けて糸状に加工したもの)とは構造が異なるため、扱い方や製織条件も大きく変わります。西陣織では、引箔は視覚的な装飾性だけでなく、布地の重さ、張り、立体感を左右する構成要素として位置づけられてきました。
引箔を用いる場合、図案・紋意匠・織組織の段階から専用の設計が行われます。「装飾を足す」という考え方ではなく、布の構造からどう設計するかという判断になるためです。

引箔(本金・本銀・本プラチナ)の製作工程
本金・本銀・本プラチナの引箔は、以下の工程を経て作られます。
- 和紙の選定(用途に応じた紙幅の設計)
- 漆を引く
- 金属箔の貼付
- 裁断(引箔として使える幅に切る)
まず、引箔専用に漉かれた和紙に漆を引き、その上から金属箔を貼り付けます。漆は和紙の上に何層にも塗り重ね、紙面に溜まりが出ないように薄く均一に仕上げます。
漆の塗布量や乾燥状態は、箔の定着・耐久性・織りの安定性に直結するため、とても大事な工程です。
用途(帯地/金襴など)によって必要な紙幅や取り回しも変わるため、最初の「和紙の設計」が品質と作業性の土台になります。
また、仕上げの方向性によって表情が変わります。塗り重ねて磨き上げ、金箔を貼ると強い輝きを持つ「光箔」に、漆を薄くして和紙の質感を残してから金箔を貼ると、上品な鈍い光を放つ「さび箔」になります。

その後、貼り上げた箔紙を細く裁断し、織り込みに適した引箔へと仕上げます。裁断幅が不揃いだと、製織中に切れやすくなったり、表情にムラが生じます。引箔は工程の一つひとつが、最終的な織り上がりに影響する素材です。
引箔の裁断とサイズ設計
裁断は「紙を糸に変える」工程であり、引箔の品質を左右します。西陣には、和紙を切って引箔にする専門の「裁断所」があります。引箔は既製品ではなく、織る布の幅や用途に合わせて、織元ごとに注文して作る特注素材です。
当社では用途に応じて切り幅を変えますが、たとえば「1寸90切り」(曲尺一寸が約3.03cmのため、1本あたり約0.3mm)で切ることが多いです。さらに、手機用と力織機用でも、使う和紙サイズや取り回しの設計が変わります。
「箔糸」は織る布幅に合わせて作る素材で、帯なら帯幅より少し余裕を持たせた紙幅を用い、当社の金襴用途では、たとえば89cm×60cmの和紙をベースに作ることがあります。和紙の四隅は最終的には切り捨てますが、織りのための取り回し・安定に必要な部分です。
昔は紙をたたんだ状態で刃物で手切りをしていましたが、現在は「ギロチン」と呼ばれる裁断機を用いるのが一般的です。
下記は引箔を裁断する現場の動画です。
引箔を裁断する竹内裁断所のインタビューをこちらの職人インタビューページからご覧いただけます。
引箔がもたらす織物の特徴
引箔を用いた西陣織には、次のような特徴があります。
- 金・銀・プラチナなど金属特有の反射による深い光沢
- 布地としての重量感と張り
- 平面的ではない立体的な表情
一方で、引箔は非常に高価で繊細な素材でもあります。摩擦や張力に弱く、織りの条件を誤ると箔の剥離や断裂が生じやすくなります。そのため、引箔を用いる製織では、通常の織物以上に慎重な条件設計が必要です。
- 経糸・緯糸の張力設定
- 織機の回転速度(力織機の場合)
- 織り手の操作感覚と素材管理
引箔と製織工程の関係
引箔は、完成した布に後から加える要素ではありません。製織工程そのものに組み込まれ、織り込む素材です。どの位置に引箔を入れるのか、どの紋意匠でどの範囲に使うのかによって、整経や綜絖の設計、織組織の組み立てまで変わります。
手織りでの製織
手織りで製織する際、織り手は必要な分だけ引箔を切り取り、織りやすいように織機にセットします。その後、一本ずつ竹でできた「へら」と呼ばれる道具で経糸の中に引き入れ、緯糸として織り込みます。
こちらから「へら」についての詳細をご覧いただけます。
力織機での製織
機械で製織する際、織り手は引箔の下準備に最大の注意を払います。織る前に両観音折りにされている箔を広げ、数日前から四隅の紙を切り落として重しを乗せ、紙のゆがみを整えます。引箔がゆがんでいると、織った時に箔が裏返ったり、引箔装置のセンサーに反応して織れなくなることがあります。粉塵などでセンサーの反応が不安定になる場合もあり、現場では常に注意が必要です。
以下は、手機で本金引箔を織り込む現場と、力織機の現場の写真です。


当社の引箔表現は、引箔を織り込むだけに留まりません。ジャカードにより箔素材自体を紋織りにし、さらに絹糸で紋織りを重ねて奥行きを作り、重厚感へとつなげます。引箔は素材であると同時に、設計と製織によって表現が決まる領域でもあります。
本金引箔という存在
引箔の中でも、純度の高い金やプラチナを用いた本金引箔・本プラチナ引箔は特に希少な存在です。輝きの品格、色味の深さ、経年変化の安定性において、他の素材では代替できない魅力を持っています。
一方で、素材コストと加工難度の高さから、本金引箔・本プラチナ引箔は量産には向きません。用途や表現意図を明確にした上で制作し、設計と製織で価値を成立させる素材です。
本金引箔・本金糸は現在、金自体の高騰により制作を維持していくことも大変になってきています。こちらのページに金価格の高騰に対してどのように挑んでいるか、どのような悩みがあるのかを書いています。
関連資料:引箔糸・本金糸が出来上がるまで
下記の写真は当社で使用している本金引箔糸の一例と、「西陣織で使われる引箔糸・本金糸が出来上がるまで(© 京都金銀糸工業協同組合)」の動画です。

補足:光箔/さび箔の違い
本金引箔は、漆の塗りと仕上げの設計によって表情が大きく変わります。磨き上げて強い反射を得る「光箔」、和紙の質感を残して落ち着いた反射にする「さび箔」。いずれも、意匠と用途に合わせて選定されます。
紋様引箔の作り方
現在では、引箔にもさまざまな彩色技法が用いられ、紋様を描いた箔素材が生まれました。和紙にラッカーによる着色、金銀砂子の使用、銀箔の加熱や色箔などによって紋様表現を行います。一枚一枚手作りするため、同じものは二度と作れません。続き物で箔素材を作る場合は、紙と紙のつなぎ目に差が出ないように工夫して紋様を付けます。
紋様引箔は、絣のように順序良く織る必要があり、織り入れる順番を間違えると意図した紋様になりません。下記の動画では、引箔の制作から布の製織、タペストリーになるまでの流れをご覧いただけます。

引箔が使われてきた用途
引箔は、主に次のような用途で用いられてきました。
- 寺社装飾
- 法衣
- 帯地
- 現代のアートファブリック・内装材
とくに寺社装飾や法衣に用いられる金襴では、長期使用に耐える耐久性と、場にふさわしい視覚的重みが求められるため、本金引箔や本金糸が多用されます。金は化学的に安定しており、経年による変色が起こりにくい点も、素材として重視されてきました。西陣では用途に応じて、引箔の素材・幅・使用量を調整しながら、織物としての成立を図ってきました。
現代の西陣における引箔
現代でも、本金引箔・本銀引箔・本プラチナ引箔の基本的な作り方は変わりません。一方で、金属素材や加工技術の選択肢は増え、さまざまな紋様引箔が生まれています。用途・表現・耐久性・コストの要件に応じて選択肢が広がった今も、引箔を織物として成立させるための設計と製織の考え方は変わりません。
重要なのは、「技法を守ること」そのものではなく、技法の本質を理解した上で用途を更新していくことです。引箔は、設計・素材・表現意図との対話を通じて、今後も進化していく可能性を持った素材技法だと考えています。
私たちは長く「引箔は高すぎて一般市場に受け入れられない」と思い込んでいました。しかし2023年の「全正絹 西陣織 金襴 真珠粉 本銀箔 紋様引箔 独楽つなぎ紋様 タペストリー」の発表をきっかけに、高価格であっても価値を理解し受け入れてくださる方がいることを実感しました。
「こんな布は初めて見た」という声。その一言が、私たちにとって何よりの励みです。
FAQ
Q. 引箔と金糸の違いは何ですか?
A:引箔は和紙と金属箔から成る素材で、裁断して織り込む「平たく、布の幅に合わせて設計される素材」です。
一方、本金糸は薄い引箔を芯糸に巻き付けて糸状に加工した素材で、構造や製織条件が異なります。本金糸は本金引箔より工程が増え、金の使用量も増えるため、さらに高価な素材です。
Q. すべての西陣織に引箔は使われていますか?
A:いいえ。用途や意匠に応じて使用されます。引箔は設計や織の工程に大きく影響するため、必要な場合にのみ用いられます。当社でも手機などの超高級品には本金引箔や金糸などを多用しますが、通常製品は銀をベースとした金糸や箔素材を使っています。
Q. 引箔はなぜ西陣で発展したのですか?
A:西陣は都にあり、高級な織物が必要とされてきました。そのため、金の輝きを布地に織り込む金襴の需要があり、分業制による工程管理と紋織技術の蓄積が、引箔の発展を支えました。引箔は高度な設計と製織技術を前提とする素材で、工程全体の精度がなければ安定して成立しません。
まとめ
引箔は、西陣織を象徴する素材技法であると同時に、織物の構造を決定づける重要な要素です。工程を理解することは、引箔そのものだけでなく、西陣織という織物の成り立ちを理解することにつながります。
引箔を含む素材と技法を支える西陣織の分業構造と製織工程については、別ページでより具体的に解説しています。
