ヴィラ九条山とアンスティチュ・フランセによる「日本とフランスの工芸・デザイン交流プログラム」の一環として、2025年11月から12月にかけて、17日間の訪仏をしました。
2025年初冬の訪仏は当社・西陣岡本の岡本絵麻は、能面師の中村光江氏、桶職人の中川周士氏、型染職人の赤坂武敏氏、そして、ヴィラ九条山文化担当の小寺雅子氏、Lauriane Jagault Onari氏とご一緒しました。
このメンバー6人で、工芸やデザインに関わる方々を訪ね、各地で対話を重ねました。
滞在中に西陣織の織元として感じたことを拙いながら、フランス滞在記第一章、第二章、第三章に書き記しています。
この第四章では、訪仏中のとりとめのない時間を書きたいと思います。
初めて訪れたフランスは、はっきり言って、とても楽しかった。
食べたもの。移動の合間の会話。フランスという土地の空気。
私は高校生の時に「いつかエッフェル塔を見ながらワイン片手にフランスパンを食べる!」と言っていたことを覚えています。ワイン片手にフランスパンをエッフェル塔を見ながら食べはしませんでしたが・・・。
頭を使い、歩き続けた旅のなかで、身体が受け取った喜びを、2026年3月の時点で、記憶が残っているうちに書き留めました。
第一から第三章では、制作や展示、講演という「現場」を中心に書きました。
今回のハードスケジュールの中で実際に私たちを支えていたのは、予定表には載っていない移動や食事、雑談の時間でした。
この章は、その「外側」の記録です。以下のリンクから第一から第三章をご覧いただけます。
歩く速度が変わると、見えるものが増えた
この旅は、予定がぎっしりと詰まっていました。
だからこそ、移動の「合間」や、目的地へ向かう途中の景色が、強く残りました。
ここでは、予定表には載っていなかった時間や出会いを書きます。
上の写真は、アパルトマンの屋上に見える煙突群です。
100年以上前の建物もリノベーションして現役で使用しているフランスのアパルトマン。
今のアパルトマンはセントラルヒーティングや空調設備があるのですが、昔の暖炉や台所の名残として煙突が残っているのだと思いました。
同じアパルトマンの煙突でも形がいろいろと違って、とても面白い。
土地を知るには、食べること
フランスで何を食べたのか?
高級レストランには行っていません。なるべく一般の人が普通に食べている食事を頂きたいと思っていました。
昼ごはん(le déjeuner)
「昼のテンポ」が、その土地の生活を教えてくれた。
フランスならクレープでしょ、と、私はフランス人がお勧めするGalette Complète(卵とベーコンのクレープ)と、シュガーバタークレープを半分分けにして16€(当時約2,926円)でした。
フランスのcrêperieでみんなで食べたクレープ。忘れられません。
朝からモビリエナショナルを訪問した際は、Auberge Etchegorryというオーベルジュでバスク料理を頂きました。
世界でも有数の美食の地、バスク。
スペインとフランスにまたがるバスクなら海も近いだろうし、私は海鮮一択でした。
魚の種類はわからないけれど、とても美味しかった。€7.83(当時約1,467円)。
パリ装飾美術館を訪問した際は、Saint-Honoré通りにあるCafé de la RégenceでBéatrice Quette氏のおすすめ料理、「鴨肉を油で煮た伝統的料理 骨付き鴨のコンフィ」を頂きました。
伝統的な付け合わせはマッシュポテトかフライドポテトだそうで、私は下の画像の左側、マッシュポテトバージョンを頼みました。
油煮込みということで、重たいかなと思っていましたが、あっさりしていて、とても美味しかったです。€22.50(当時約4,227円)。
チーズとバター(Fromage、Beurre)
チーズとバターが好き。
私は北海道生まれで、チーズとバターは大好きです。
さすが、チーズとバター大国のフランス。チーズを使った料理をたくさんいただきました。
こちらは、JAD(Jardin des Ateliers de Design⦅デザインと工芸の庭園⦆)で頂いたチーズを使ったアミューズ。
名前はわかりませんが、可愛くてとても美味しかった。
漆芸家のNicolas Pinon氏、デザイナーのDimitry Hlinka氏からアトリエでのパーティーに呼んで頂いたときのごちそう。
パン(Pain)
パンが「食べ物」から「記念品」になる瞬間がある。
これは、京都の工芸仲間からフランスに行くなら絶対に食べておいでと言われたオテル・リッツ・パリで購入したフランスパン。
フランスパンの概念を覆すこの円柱状のかたち。心ときめきます。箱の可愛さもパンとは思えない。
道のパン屋さん(Boulangerie)で見かけたパン?メレンゲ菓子?とサンドイッチ。
サンドイッチは移動の列車の中などで何度か食べましたが、可愛いメレンゲ菓子はあまりの大きさに食べられそうになく、買えませんでした。
2026年3月の今でも心残りだから、気になった時には買ってみるべきですね。次に行けたら必ず買います。
露天市場(Marché)
そこを通るだけで土地を感じた。
宿泊していたカルチエ・ラタン(Quartier latin)にMarché Mongeがありました。
朝に通り、帰りには閉まっているので買い物は出来ませんでしたが、毎日ワクワクしながら見ていました。
左のひだの強いキャベツを見るたびに料理してみたいものだと、思いながら通り過ぎ。(現地に住む人に聞いたら、炊かないと固くて食べられないキャベツだそう。)
有名な蚤の市にも興味がありました。
しかし、今回の旅の予定には入っておらず、「18区にあるクリニャンクール(Marché aux Puces de Paris Saint-Ouen)は観光客が一人で行くのは避けた方がいい」と言われていました。
しかし、理由はモンマルトルの丘の段で後述していますが、偶然クリニャンクールに近づくことができました。
ときは雨の日の夕方16時過ぎ。クリニャンクールの蚤の市は枠だけ残して店じまいでした。

名所について
ヴェルサイユ宮殿
工芸仲間の4人で日曜日にヴェルサイユ宮殿に行きました。
お会いしたフランスのデザイナーに「明日はヴェルサイユ宮殿に行く」と伝えると、「え?休日のヴェルサイユなんて人しか見れないよ」と言われましたが、私にとって初めてのヴェルサイユ宮殿は素晴らしかった。
続きで部屋部屋が並び、個人的な部屋はどこにあったのか?これではプライベートは全くないだろうなとか思いながら、彫像や肖像画の視線がすごい、豪華絢爛なヴェルサイユ宮殿を堪能しました。
面白いなと思ったのは、布地に携わる私と赤坂氏はインテリアや服飾に使われている布地、桶職人の中川氏は木造の机などのインテリア、能面師の中村氏は彫像や壁装飾の人面に興味をもって見ていたことです。
やはり仕事に関連することに、みな一様に面白みを感じるのだな、みんな仕事人間だなと思いながら過ごしました。
ちなみに、混雑具合は・・・、その年の夏に大阪関西万博に出展させていただいた関係で、8回万博に行った私は、そこまで混んでないなと思いました。
11月後半のヴェルサイユはとても暖かく、まぶしいくらいの蒼天でした。
ヴェルサイユ庭園も素晴らしく、マリー・アントワネットが愛したプチ・トリアノンまで行きたいなと思いましたが、夕方までに帰る予定では、たぶん無理だろうという事になり断念。
ヴェルサイユは広大でした。

エッフェル塔
パリ市内を移動していると色々なところから「あ、エッフェル塔や」とそのとんがり頭が見えます。
しかし、やっぱり近くで見てみたい。
疲れている二人を誘い、中村氏と赤坂氏と3人でエッフェル塔に向かいました。
「あれ?エッフェル塔って赤じゃないんだ」というのが私の感想で、焦げ茶色でした。
お土産とかいろいろなものに赤いエッフェル塔が描かれていたので勝手に赤だと勘違いしてしまったんですね。
近くで見ることができて満足です。

モンマルトルの丘 サクレクール寺院
休日にパリ市内を歩き回り、美術館を3軒はしごしたあと、「モンマルトルの丘に行こう!」と思い立ち、地下鉄(メトロ)に乗りました。もちろん、サクレクール寺院も行かねば。
メトロの中でグーグルマップを見ていると、サクレクール寺院に一番近いChâteau Rouge駅から数駅のところに、クリニャンクールの蚤の市がありそうでした。
Château Rouge駅で降りると、道路には落花生の殻が散乱、壁一面の落書きが目に入り、駅を出た瞬間に空気が変わったのを感じました。
残念ながら警戒中だったので写真は撮っていません。
日本語しか話せない日本人としては、観光客じゃないよと思ってもらうために「フランス人のように傘を差さず、すごい速さで迷うことなく道を歩く」を実行。
びしょ濡れでサクレクール寺院に向かいます。
丘というので甘く見てましたが、かなり階段が・・・。数えてみましたがたぶん195段。
サクレクール寺院に入るためにそこそこ並び、入館。
ああ、頑張って雨の中、来てよかった。
小寺氏から素晴らしいとお聞きしていたので、見ることができてうれしい教会の一つでした。
モンマルトルの丘にあるサクレクール寺院からクリニャンクールまでChâteau Rouge駅から数駅。
私は落書きの少なそうな道を歩いて行ってみました。
残念ながら先ほど既述したように、雨の日の16:00、蚤の市だと思われる露店は片づけられ、露店の柱だけになっていました。
リヨンのジョセフ・マリー・ジャカール像
今回の第4章で唯一といっても良い、「西陣織」と関連する写真です。
リヨンについてはまた別に書こうと思っています。
絹織物職人の家庭に生まれたジョセフ・マリー・ジャカールはパンチカード(西陣では紋紙と言います)を使用したジャカード機を発明しました。
パンチカードは今のコンピューターの先祖でもあります。
パンチカードの穴があるなしで「0か1か」という判断をします。
穴の有無で情報を記録し、ジャカードが紋様を読み取って織機が動きます。
明治時代に西陣が留学生をリヨンに送り、ジャカード機を導入したため今の西陣の紋織りの発展に結びつきました。
そのジョセフ・マリー・ジャカール像の前で記念撮影をしてきました。

もっとたくさんの話があるのですが、長くなりすぎるので第四章はここまで。
〈第五章へ〉
次章では、リヨンで実際に見てきた旧式ジャカードの織機について書きたいと思っています。
古きを温ねて新しきを知る。






























