試験管の中で木を育てているような気がした話
最近、SNSでこんな投稿を見て、ちょっと心がざわついたことはありませんか。私はしょっちゅうです。
「置いただけで売れた」「AIに任せたら回った」「人間は承認ボタンを押すだけ」
それを見て、すごいと思うのに、なぜか少し気持ちが寒くなる。
これは、ものづくりをしている人間の、つぶやきです。
最近、ThreadsなんかのSNSを見ていると、同じような投稿が何度も流れてきます。
ちゃうねん。
私が読みたいのは私がフォローしてる人の投稿やねん。
こんだけ知らん人ばかり出てくるんならフォローしている意味無くない?などと思いつつ…、
「ChatGPTで30分くらいで作った商品をココナラに置いただけで、3ヶ月で700万円」
「社員ゼロ、AI6体で会社を回してます」
「ClaudeがCOO。人間は承認ボタンを押すだけ」
しかも、何を作って、何を売って、その数字が何の売上なのか、たいがい肝心なところが書いてない。
売上なのか利益なのか。単発なのか継続なのか。広告費はいくらなのか。返品や手数料はどうなのか。
そのへんは、きれいに霞んでいることが多い。
ここから京都弁でいかせてもらいます。
そんなAIの活躍を見てな、へー、ほんまかぁ、すごいなぁと思ってます。
ほんま、時代もえっらい変わったなあと。
ちょっと前やったら、お店持つにも、商品作るにも、広告打つにも、まずはお金がかかったやん?
それが今は、月数千円のAIと、スマホ一台と、SNSのアカウントひとつで「商売してます」いう顔ができる。
そら、びっくりしますわ。
ほんで正直、ちょっとぐらい「ほなうちも、その情報買うてみよかいな」って思ってまう。
人間やもん。
私は京都の西陣で、織物を織る商売をさせてもろてます。これがまた、時間のかかる仕事でしてなぁ。
図案を考えて、紋を起こして、糸を選んで、触って、整えて、織って、やり直して、また見直して。
一発でうまいこといくわけやない。その間、色んな職人さんに「これ、よろしくお願いします」言うたりなんやりコミュニケーションしつつね。
1日や2日で形になる話でもない。
手をかけて、目をかけて、気をかけて、それでようやく布になっていく。
そやさかい余計に思うのかもしれへんねんな。
あんた、これな、森に入ったことあらへんのに、試験管の中で木を育てようとしてへん?
うちな、そんな感じがするんです。
木っていうのは、土があって、水があって、光があって、虫もおって、風も吹いて、枯れることもあって、そういうもん全部ひっくるめて木やろうと思うんです。
都合のええところだけ切り取って、「はい、これで育ちました」いう話にされると、なんや怖い。
粘菌学者の南方熊楠に人が惹かれるのは、あの人が熊野の森の中で、蚊に刺されながら、泥だらけになりながら、粘菌を追いかけて、愛したからやと思うんです。
情報だけ拾って賢そうにしてたからやない。
身体ごと、現場に入っていったからやんな。
AIで作った何かの最後の締めにポチッとOKを出して、何かを売ってるあんたさんは、自分が何を売ってるのか、ほんまに分かって売ってはるんやろか。
どういう経緯でそれが生まれて、誰が必要として、誰が買うてくれはったんか、見えてますやろか。
「売れた」という数字の向こうに、人の顔はありますやろか。
もちろん、AIがすごいことも、便利なことも分かっています。
というか、私も実際に使っています。
文章を書くのも早い。
考えを整理するのも助かる。
調べものの入口にもなる。
私自身、書き殴るのは好きだけれど、起承転結を整えたり、段落を組み直したりするのはあまり得意ではないので、そこはかなり助けてもらっています。
月3000円前後でここまで支えてくれるなら、そりゃ「ありがとう、チャッピー」ですよ。
でも、だからといって、
「30分で作ったものが売れて、自動でお金が入って、人は承認ボタンを押してるだけ」
そんな話ばっかり流れてくると、ほんまにそれでええんか、と思ってしまう。
みんな、ちょっとは思いませんか。
たとえば、3ヶ月で700万円という数字。
たしかに強い。私もほしい。
でも、数字は強いからこそ、内訳を見たくなる。
3ヶ月で700万円なら、1ヶ月あたり約233万円。
1日平均にすると約7万7000円。
もし1件5000円の商品なら、約1400件売れている計算になる。
1件1万円なら、700件。
それだけ売れているなら、購入者対応、クレーム、修正、返金、集客、再購入率、プラットフォーム手数料、税金、そのへんはどうなっているのか。
気になるのは、私だけでしょうか。
もちろん、すごい人はいると思います。
本当にAIを使い倒して、試して、失敗して、改善して、売れる形にしている人もいるはずです。
それ自体は、立派な仕事やと思う。
昔なら、資本がないとできなかったことが、今は一人でもできる。
これは間違いなくすごいことです。
でも、時間をかけて作る仕事をしている側からすると、世界が軽くなりすぎてるように見える時がある。
軽い、というのは、重みが見えにくいということです。
そのために何時間考えたのか。
始めるまでに何回失敗したのか。
どこでつまずいたのか。
何を削って、何を残したのか。
誰に迷惑をかけて、誰に助けてもらったのか。
本来、仕事にはそういう「見えない重さ」があるはずなのに、SNSの投稿画面の中では、そこがごっそり消えて、結果だけがキラキラ流れてくる。
しかも今は、画面の中で仕事をして、
画面の中で人とつながって、
画面の中で戦争を見て、
画面の中で怒って、
画面の中で稼ぎ方を学ぶ時代です。
だから余計に、何が本物で、何がただの演出なのか、分からなくなる。
お金儲けが悪いなんて、まったく思っていません。っていうか大好きです。お金がないと親戚一同路頭に迷います。
ちゃんと儲からないと仕事は続かない。
当社は西陣で100年以上織っていて、利益が必要なのは骨身にしみて分かっています。
しかし、ほんま、このものづくりっていうのは、ほんま、儲からへんし、胃は痛なるし、大変ですわ。
でも、そのしんどさの中で、糸が通って、柄が立ち上がって、ようやく「できた」と言える瞬間がある。
その瞬間の嬉しさは、軽くないよ。
思わずブログ記事にしちゃうくらい嬉しいよ。
最近発表したものでは集英社さまとJOJO展に向けた本プラチナの手織りを織ったので見てやってほしい。
めっちゃ自慢気ですが、じまんです。
ほんまにやりたかった…。やれて良かった。ほんま嬉しい。
この仕事は時間も手間もかかったから、出来上がりが本当に嬉しかった。
試行錯誤したからこそ覚えている。
記憶力が悪い私でも忘れないと思います。
遠回りしたからこそ、自分の仕事になるってことがあるんだと思うのです。
AI商材の投稿を見ていると、
- 便利やな
- すごいな
- 怖いな
- でもちょっとワクワクするな
この全部が一緒に来ます。
たぶん、これが今の時代なんやと思います。
みんな家にこもって、
画面の中で仕事して、
AIと会話して、
自動化して、
効率化して、
そのあとで、
でも、やっぱり人と会うのええな。
触れるのええな。
話すのええな。
温かいご飯を人と話しながら食べるの美味しいな。
って、なるんちゃうかなと思ってる。
というか、そうなってほしい。
だって人は、一人では生きていけないからです。
もしかしたらこの先、手作りの品物や仕事なんて、人生に必要ないという人も増えるかもしれません。
でも私は、やっぱり、ほんのりと思うんです。
手で作る仕事。
遠回りする仕事。
時間がかかる仕事。
そういうものには、まだ意味があるんちゃうかなと。
AIが進んでいくほど、ほんまに手を使う仕事をしている人は、少なくなっていくはずです。
だから私達は、このまま織る仕事をしていこうと思います。
生の仕事をしていて良かった。
蓮のように咲く西陣織を織るための泥臭い仕事。
これが私の生きる道やわと、AIが出てくる以前より、はっきり思っています。
ほんま、いろんな意味ですごい時代やけど。
私はたぶん、迷うぐらい遠回りの方が面白い。
今の人が避けたがるコミュニケーションも、積極的にしておいた方がいいと私は思います。
AIは忖度してくれるけれど、人はまったく予測がつかない。
でもその方が面白いし、その方が仕事にも生きる。
西陣の職人仕事も、そういうやり取りの中で出来ていると思っています。
私達の仕事を興味を持ってくださった、そこのあなた、
西陣織って何?というあなた、
ぜひこちらをご覧下さい。
西陣織を織る工程なども詳しく書いています。

