こんにちは。
京都は西陣にて西陣織で口に糊をしている岡本織物です。京都西陣金襴屋の岡本織物のブログを読んでくださる方々どうもありがとうございます。暑さ寒さに極めて弱いサバイバルには向いていない女です。
夏になったら溶けそうになって暑くて動けなくなってしまう私にとって避けては通れない行事があります。夏越の祓(なごしのはらえ)。
暑い暑い夏に起こりがちな病気やなんやらを祓おうとする儀式です。行かねば・・・。行って神頼みで夏を乗り越えねば・・・。
私はその存在を京都に来て初めて知りました。まさか夏を過ごすくらいで神頼みしないとあかんとは・・・。ほんまに京都は暑い。東京も暑かったけど。
・・・と言いつつ6月12日いつもやったら「暑い暑いどれだけ湿気!?」と思っていてもおかしくないのですが、今年は涼しいですね。クーラーはまだ一度もかけていません。それどころか夜はひんやり冷気にやられて窓を閉めて寝ています。台風はどこに行ったのでしょうか。今朝もものすごく爽やかな朝でした。
しかし、こんな極楽のような梅雨ももう少しに違いない。もう少ししたら恵みの雨が降り始めるはずや。そうして湿度はぐっとあがりどこもかしこもじめじめして私もぼやきだすことでしょう。
そんなぼやきたくなるような夏を迎える為の行事:夏越の祓は「茅の輪くぐり」という茅草で作られた大きな輪をくぐります。
∞のようにくぐっていきます。
6月に入ると京都市内の神社ではこの茅の輪を神社の表門においてある所が沢山あります。見つけたらすかさずくぐりに行きましょう。
くぐった後は一本くらい引き抜いて自分で小さな輪をくるくる作って家の軒先などにぶらぶらさせておいたりもします。
と書いた後にビックリです。
「尚、茅の輪のカヤを引き抜いて持ち帰る人が後を絶たないが、本来は罪や穢れ・災厄をカヤに移すことで無病息災を得る風習であり、カヤを持ち帰ることは他人の災厄を自宅に持ち帰ることになるので(茅の輪のカヤを抜いて持ち帰るのは)避けるべきである。–wikipedia
皆様、持って帰ってはいけません。
私ももう二度と持って帰らないでしょう。知らなかった・・・。
大祓(おおはらえ)—701年の大宝律令によって正式な宮中の年中行事に定められた。
この日には、朱雀門前の広場に親王、大臣(おおおみ)ほか京(みやこ)にいる官僚が集って大祓詞を読み上げ、国民の罪や穢れを祓った。
衣服を毎日洗濯する習慣や水などのない時代、半年に一度、雑菌の繁殖し易い夏を前に新しい物に替える事で疫病を予防する意味があった。
その後、百年ほどは盛大に行われた。そして応仁の乱の頃から行われなくなったが、江戸時代(1691年)に再開され、次第に広まった。
1871年(明治4年)の太政官布告にて明治新政府により「夏越神事」「六月祓」の称の禁止と「大宝律令」の「大祓」の旧儀の再興が命じられ、全国の神社で行われるようになった。
戦後には「夏越神事」「六月祓」の称も一部では復活し、現在に至る。
–wikipedia
護王神社の紹介もどうぞ。
京都市上京区烏丸通下長者町下ルにある護王神社。
和気清麻呂(わけ の きよまろ)と姉の和気広虫(わけ の ひろむし)を主祭神としてはります。
——————
護王神社は、和気氏の創建による高雄神護寺境内に作られた、和気清麻呂を祀った廟(護王善神堂)に始まる。
正確な創建の年代は不詳である。
和気清麻呂と姉の広虫は、宇佐八幡宮神託事件の際に流刑に処せられながらも皇統を守った。孝明天皇はその功績を讃え、嘉永4年(1851年)、和気清麻呂に護王大明神の神号と正一位という最高位の神階を授けた。
明治7年(1874年)、護王善神堂を神社として護王神社に改称し、別格官幣社に列格した。
明治19年(1886年)、明治天皇の勅命により京都御苑蛤御門前付近にあった公家の中院家の邸宅跡(現在地)に遷座された。
大正4年(1915年)、大正天皇の即位の際に広虫が合祀された。
広虫が孤児救済事業で知られることから、当社は子育明神と呼ばれるようになった。
—-wikipedia
「いのしし神社」としても有名です。
和気清麻呂が配流されてしまった時に、刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説があり、明治23年(1890年)から狛犬の代わりに「狛猪」が置かれており、「いのしし神社」の俗称もある。
そのため亥年には参拝者は他の干支の年よりも増加する傾向があるそうです。猪年生まれの会「亥年会」などもあります。
境内には狛猪のほかにも猪にちなむものが沢山あります。猪の剥製、自然木なのに猪に似ている木。各地より寄付されて集まってくる猪人形。
猪人形は良いとして、上を見上げると猪の剥製が壁から突き出たりしていて、子供が怖がるんですわ~。実は私も苦手なんです。
これは面白いです。
木彫りの猪。
日本銀行券としてかつて発行されていた10円紙幣は、1890年から1945年まで発行されたものは一貫して和気清麻呂と護王神社が描かれたが、そのうち1890年に発行されたものは表面の枠模様の中に8頭の小さな猪が描かれ、さらに1899年に発行されたものは裏面に大きな猪が1頭描かれた。
10円紙幣はその後1915年発行のものから猪が描かれなくなったが、その後も含めて和気清麻呂の肖像画が描かれた10円紙幣は長らく「いのしし」と俗称された。—wikipedia
御札のモデルになるなんてすごい事です。「王を護る」というのが明治時代にぴったりだったんですね。
ここ↓は日々改良されている休憩所。
あめ湯やあまざけ、抹茶などでほっこりどうぞ。
頭の上にはぶらぶらひょうたん。
これはたぶん井戸をテーブルにしたんでしょう。
井戸の中を覗いてみたいなあ~。
日本一のさざれ石というのも鎮座してはります。
もともと小さな石なんですが、その石が集まって大きな石へと成長するんだそうです。
「君が代」にも詠われています。
そして京都では6月になると「水無月」という御菓子を頂きます。
ういろうのような小麦粉を蒸し上げた生地に小豆がのっています。
形は三角です。
昔この時期には宮中で氷を食べたらしいのですが、一般庶民はそんな事とてもとても無理です。
その氷に見立てて(白い生地が氷)のお菓子だと聞いた事があります。
30日の大祓えの日には境内で水無月を売ってます。
猪の紙袋に入れてくれます。
普通の水無月と抹茶の水無月。
美味しく頂きました。
ご馳走様でした。
さ、茅の輪をくぐると京都も夏です。西陣もむしむししてきます。
西陣織の工場は昔クーラーのない時期は湿度も温度も高くて、風は通らず。
毎朝毎朝、手織り機についた湿気を拭き取っていたそうです。ああ、文明の利器って素晴らしい。なんやかんやともう電気と離れられない生活です・・・。