猪熊通り木津屋橋下ルのお地蔵さん~西陣織屋の金襴を探して

今日は2月21日木曜日。皆様、いかがお過ごしでしょうか。

西陣の金襴屋、HILLTEXは朝からちらほらと降る雪に「寒いなあ」と凍えています。

1431年2月21日に悲劇の少女、ジャンヌ・ダルクの異端審問が開始されています。ジャンヌ・ダルクは1412年生まれといわれていて1431年に火あぶりの刑で処刑されたとされています。19歳・・・。日本では室町幕府でした。後花園天皇で室町幕府将軍は足利義教(あしかが よしのり)さんです。

ドミニク・アングル『シャルル7世の戴冠 式におけるジャンヌ・ダルク』
ドミニク・アングル『シャルル7世の戴冠
式におけるジャンヌ・ダルク』

神がかりの少女が、男を手助けしたのに使われるだけ使われて最後には捨てられる。話・・・?

すみません。ジャンヌ・ダルクってよく聞きはするのですが、全然知りません。上記の「傭兵ピエール」の評判がよいので近いうちに読んでみようと思います。早速図書館に予約しました。最近なるべく本類は買わないようにしています。置く場所無いから・・・。服部屋と本部屋欲しいなあ。遠慮なくどんどん増やせるような。

あとは2月21日には何があったかしら・・・。
1946年に警視庁が婦人警察官の募集を開始したそうです。戦後すぐにそんな募集があったんですね。もし、もしも、日本が戦争に勝っていたら今でも男女平等ではなかったのでしょうか。

そうして、「漱石の日」だそうです。
文部省が作家・夏目漱石に文学博士の称号を送ると伝えたのに対して、1911年のこの日に漱石が「自分に肩書きは必要ない」として博士号を辞退する旨を書いた手紙を時の文部省専門学部局長に送ったことに由来する。

かっこいい~。私もそんなん言いたいわ~。
さてさて、いきなり入った閑話も休題と。

猪熊通り:いかつい名前ですねえ。そんな南北の縦の通りがあります。平安京では猪隈小路と呼ばれて堀川通の西で大宮通の東という位置の細い通りです。堀川西通と呼ばれていた時代もあるそうです。仁治年間(延応の後で寛元の前。1240年~1242年)にこの通の近くに居住した藤原基実を猪熊殿と呼んだことからこの名前になったとかならないとか。要はわかりません。

木津屋橋通り:東は東洞院通から西は御前通までの通りの名前。途中梅小路公園と新千本通の間で中断します。横の通りです。木津というと「木津川」という大きな川がありますが、それとは無関係のようです。

そんな道の交わりの近くにあったお地蔵様。

猪熊通り木津屋橋下ルのお地蔵さん
猪熊通り木津屋橋下ルのお地蔵さん

おお。鉄柵に更にアクリルプレートまでついています。厳重警備ですね。南京錠もon。昔は左の駐車場も(京都の人はモータープールと呼ぶ事多し)右のお家もこのお地蔵さんぎりぎりまできている町家だったんでしょう。なんだか今では後方退去してしまってなんだか背中が寂しい感じ。

とゆは立派です。「とゆ」とは雨どいの事で京都では「とゆ」です。「ゆ」にアクセントが来ます。

猪熊通り木津屋橋下ルのお地蔵さん
猪熊通り木津屋橋下ルのお地蔵さん

ぎっちり防御されて中のお地蔵さんは見られませんでした。とほほ。残念残念。

金襴探しとしては赤地の金襴が掛かっております。しかし!アップ画像を採ってくるのを忘れてしまいました・・・。

お地蔵さんの金襴を探す為に縦の通り横の通り、通ったことの無い所を探して彷徨う私なのに・・・。

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