こんにちは。西陣の岡本織物です。京都西陣で金襴織屋を細々としております。金襴屋なのでどんなところで金襴が使われているのか知りたい!運がよければ我が社の金襴に出会えたら嬉しい!
と思って金襴を探して歩いています。金襴は主に神社仏閣に使われている事が多いので自然と神社やお寺、京都に多いお地蔵さんに使われている金襴地を探して歩いています。
このようにまとめています。我が社のインターネット販売用に織った金襴を使った小物などもご覧ください☆
神社仏閣がテーマ→https://okamotoorimono.com/category/templeshrine/
道々のお地蔵さんがテーマ→https://okamotoorimono.com/category/jizo/
今日は、東京浅草のメッカ、浅草寺!来ました雷門。すごい提灯ですねえ。この「雷門」の大提灯は高さ3・9m、直径3・3m。重さはなんと約700㎏。骨組みには丹波産の竹。和紙は福井産コウゾ使用の手漉き和紙。材料を集めるのに1年かかったそうです。文字に立体感を出すため、職人達が脚立に乗り薄墨でぼかしを入れて完成したそうです。奉納しているのはパナソニック。1960年以来10年毎の大改修が行われているそうです。正式の名称は、風神雷神門。
雷門の風神。
雷門の雷神。
941年、安房国の太守であった平公雅が、武蔵国への配置転換を祈願。翌年、配置転換の願いが叶ったことから、新天地での天下泰平と五穀豊穣を祈願し伽藍などの寄進を行った。初代の雷門に相当する門は、その際に造られたとされる。–wikipediaより
どうぞクリックして大きな画像にしてご覧ください↑ 文字の周りのグラデーションが細かい細工ですね。
提灯の真下のレリーフです。龍がかっこいいです。
銘板は「松下電器」懐かしい名前です。
門の背面の間には、昭和53年(1978年)に奉納された「金龍・天龍」の像が安置されています。こちらの西には仏師・菅原安男さんの作の金龍(女神)。東には彫刻家・平櫛田中の作で天龍(男神)。
雷門をくぐって仲見世を見ながらぶらぶらあるくと「宝蔵門」
このこちらの「宝蔵門」の大草鞋は山形県村山市の「奉讃会」によって奉納されたものです。延べ800人が一ヶ月をかけて制作されたものです。藁を2500kgを使ってあります。まさに信心の結晶です。昭和16年に初めての奉納がされてから約10年に一度作られて奉納されているようです。草鞋は仁王様のお力を表しているといわれ「このような大きな草鞋を履くものがこの寺を守っているのか」と近寄ってきた魔物が驚いて逃げていくという効能があります。人間、足腰が大事ですから健脚を祈って減化継ぎする人も多数です草鞋を触って験を担ぐ人も大勢です。
宝蔵門を出ますと五重塔。
五重塔は慶安元年(1648年)の建立。浅草寺の本堂と同じく関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年の東京大空襲で焼失してしまいました。こちらの五重塔は再建されたものです。鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺きです。塔自体の高さは約48m。中には仏舎利が安置されているようです。
宝蔵門は昭和39年(1964年)に再建された鉄筋コンクリート造り。門の左右に金剛力士像が安置されています。その名の通り、門の上層は文化財の収蔵庫となっています。
西の阿形は仏師・錦戸新観作。
東の吽形像は木彫家・村岡久作作。
本堂が見えてまいりました。空がどこまでも高くなんとやねの大きな事。
お線香を奉納せねばなりませぬ。
ちゃんとお線香用の火元があります。便利です。
お線香に火をともし灰の中に刺しましょう。
このたゆたう香華がお参りしている感を盛り上げます。体の不調なところに煙をつけて。
参拝のために長蛇の列。
「龍之図」 川端龍子 画
「天人之図」 堂本印象 画
慈覚大師 作の前立本尊。ご秘仏本尊として上段の間に聖観世音菩薩が安置されています。ご真言は「オン・アロリキャ・ソワカ」
鳩よけの網?の向こうには立派な刺繍の掛け布。
左の愛染明王
右の不動明王
野口雪江 書の「仏身円満無背相 十方来人皆対面」。浅草寺のご本尊である観音さまのことを表した「誰でも、どこから来た人でも分け隔てなく救いの手を差し伸べてくださる」という意味の「聯(れん)」
私ももちろん手を合わせました。「オン・アロリキャ・ソワカ」
本堂を出て「影向堂」へ向かいます。橋がありました。元和4年(1618)に架設された東照宮(現存しません)の神橋。都内最古の石橋です。
平成6年建立。中央に聖観世音菩薩、左右に十二支に応じた生まれ年の守り本尊様八体がお祀りされています。子年が千手観音。丑寅年が虚空蔵菩薩。卯年が文殊菩薩。辰巳年が普賢菩薩。午年が勢至菩薩。未申年が大日如来。酉年が不動明王。戊亥年が阿弥陀如来。
こちらの六角堂には「日限(ひぎり)地蔵尊」が祀られています。地蔵菩薩は慈悲の心でこの世だけでなく地獄や餓鬼道にも赴き、衆生を救われる仏様です。この六角堂は浅草寺最古の建物と言われ江戸初期の建造と言われています。
いやあ。浅草寺をのんびりすごしました。って金襴は見つかりませんでした。たぶん本堂の奥にあったのですが網が多くて人も多くじろじろ見る事適わずでした。残念です。浅草寺は掛ける布地も時々衣装替えをしはるそうなので御近所でしょっちゅう浅草寺詣でに行くという方がこのブログを読む機会がありましたらどうぞどうぞ掛けてある布地にも御注目ください。一生懸命織ったり縫ったりしています。
さ、花やしきみにいきましょか。
おお。懐かしい。ここのジェットコースター怖いんです。ものすごい迫力が・・・。
あっというまに浅草の散歩も終わり、また浅草寺の境内を通っていきましょう。立派な狛犬さん。
思わずがなドラえもんを思い出してしまいました。
こちらは「浅草神社」。「三社祭(さんじゃまつり)」が有名ですね。神仏分離によって浅草寺と分離したのですが江戸時代までは浅草寺と浅草神社は一体のものでした。
こちらの狛犬さんは変わった台に乗っていて珍しいです。こういうタイプはあまりみかけません。野趣あふれています。
土師真中知(はじのあたいなかとも)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・檜前武成(たけなり)の三柱をを主祭神として祀っています。下の画像ですが確かに浅草神社なはずなのですが、「蛭子神社と」書いてあるような気がします。?浅草はたぶんここらへんまで昔は海だったのでしょう。檜前浜成・武成の兄弟がで漁をしていたところ、網に人形の像がかかりました。そこで兄弟がこの地域の物知り、土師真中知に相談したら「これは観音像である」と教えられました。その後二人は毎日観音像にお祈りするようになりました。土師真中知は剃髪して僧になって自宅を寺にしました。これが浅草寺の始まりだそうです。それでなぜ「蛭子」蛭子さまは海から来た神様ですが・・・。2013 ゑべっさん 十日ゑびすの残り福祭~西陣織屋の神社見物
綺麗ですね。布も天井画も美しい。
浅草はいいところです。いついってものんびりした気分になれます。時間があったら銭湯も行きたかったわ。浅草の銭湯は面白いですよ(20年前の思い出ですが)。