西陣織と絹糸|糸に宿る信用 蚕光株式会社 中岡 英夫さん 西陣織に関連する職人インタビュー

西陣織の絹糸を守る老舗糸屋|蚕光株式会社

沢山の職人たちの力が合わさって一枚の西陣織が織りあがるという事を伝えていきたい。西陣岡本では、伝統を支える職人たちの声を不定期でお届けしています。

西陣織がどのように織り上がるのか。西陣織は、織り手だけでなく、糸屋さん・染屋さん・整経屋さんなど多くの職人の丁寧な手仕事によって生まれます。本記事では、そんな西陣に関わっている一人に焦点を当てます。

今回登場してくださるのは、西陣の中で132年続く上京区の絹の糸屋さん、1893年創業の蚕光(さんこう)株式会社 4代目の中岡社長です。

蚕光株式会社 中岡 英夫さん

西陣織の糸屋が語る、最も大切にしている「信用」

糸を扱う私たちが何よりも大事にしているのは「信用」です。織物の最初から糸として関わる事でお客様に信用していただく。それが西陣の糸屋としての全てと言っても過言ではありません。

糸屋をしていて一番嬉しい瞬間は、「いい糸やな」「扱いやすい」「きれいに織れたわ」と言ってもらえるときです。他の糸からうちの糸に変えたことで結果が良くなった、とお客様に言われた時にはこの仕事をやっていてよかったなと思えます。日々の業務の積み重ねが信用につながっている証と捉えています。

西陣織と絹糸|糸に宿る信用 蚕光株式会社 糸屋 明治時代の蔵
明治時代に建てられた蔵。

西陣の糸屋を継承する、家業への歩み

私は職住一体の環境で育ったわけではなかったので、子供の頃、父に「仕事は何?」と聞けば、「西陣の糸屋や」と教えてくれました。それが、家業に対する私の初めての記憶ですね。

若いころは家業を継ぐことは考えていませんでした。大学を卒業して、東京でシステムエンジニアとして銀行などのシステム開発に携わっていました。当時はまだパソコンも普及していない時代で大型コンピューターでシステムを管理する、家業とは全く違う世界にいました。

その仕事が嫌だったわけではありません。ただ、30歳を前にして「糸屋として京都に戻るなら今しかない」という思いが芽生えたんです。それで京都に戻ってきました。京都に戻ってきてよかったと思うことの一つは通勤時間が短くなったことです。東京にいた頃には1時間半かけて通勤していましたが今はそのようなことはありません。京都の町の規模や雰囲気も心地良く、体は格段に楽になりました。

私たちは「蚕が光る」という社名の通り、絹の糸を扱う仕事を代々してきました。私たち糸屋では、「生糸」は撚って(よって)ない糸の事を指します。養蚕から生糸までの部分は農産物で農林水産省の管轄になります。撚った(よった)糸については「撚糸(ねんし)」または「絹糸(けんし)」と呼び、加工品扱いで経済産業省の管轄になります。

仕入れた生糸から撚糸をして絹糸にします。私たちが販売する絹糸は未精練のセリシンが付いた状態の糸です。石川県や京都市内の撚糸工場に協力をしてもらって生糸から撚糸にしています。この動画は京都市内の澤田撚糸工場で生糸を撚糸している様子です。

糸は美しいですが、扱うのはとても難しいです。私が家業に入った時は、父と叔父、ベテランの社員も何人かいたんで、そんな中、色々と教わってきました。

入社してからの最初の頃は染屋さんや織屋さんを回りながら商売について学びました。時間はかかりましたが、しばらくすると糸の扱いにも慣れてスガを割ったり、色々な作業ができるようになりました。

入社した当時は西陣の織屋さんたちも世代が一つ上の人たちで付き合いが難しい面もありました。みんな一国一城の主ですからね。昔の世代の人たちは糸に対するこだわりも強かったなと思います。

西陣織と絹糸|糸に宿る信用 蚕光株式会社 絹糸の重さを量る分銅秤
今でも代々使われてきたこの分銅秤で絹の重さを量る。

西陣を取り巻く環境の変化

西陣を取り巻く環境は変化しています。入社当初は扱う糸も半分くらいは日本産でした。今は中国産がほとんどで、日本の糸はごくわずかになりました。

入社当時はここまで西陣織産地としての規模が小さくなるとは思ってもいませんでした。入った時から西陣の織屋さん自体が十分の一ぐらいに減っています。生産量となると5%以下になったでしょうか。まさにこれ以上減ってくると分業で成り立っている西陣織の産地として大いに危機感を感じています。

絹は昔から使われてきた天然繊維で丈夫で美しい糸ですが、化合繊と比べて染色や製織での扱いが難しく、工業的な生産には向いてません。付加価値を付けるなどで、少量でも維持できるようにしないと、絹や絹織物の生産は減る一方だと思います。良い絹糸を作ろうと思うと、たくさんの繭の中から良い繭を選んで製糸する必要があります。良い絹を作るために、大勢の養蚕農家が沢山の蚕を育てることが必要です。「養蚕をするとしたら儲かる」という仕組みにしないと養蚕農家が減っていってしまう。

世界のマーケットに目を向けると、まだまだ絹の需要は広がる可能性があります。西陣は新しいマーケットを開拓しなければ、「西陣産地」としての未来には困難があると思います。しかし、例えば、西陣の中にも新しい試みをされている織屋さんが数多くいらっしゃいます。そのような織屋さんを糸を扱う立場から応援していきたいと思っています。

絹糸の魅力は尽きません。繭は無駄なく最後まで使い切ることができる。SDGsが叫ばれる今、天然の繊維である「絹」の重要性がもっと高まっていくことを望んでいます。

蚕光株式会社

所在地: 〒602-8448 京都府京都市上京区今出川通大宮西入元北小路町165

(2025年7月16日、24日取材/文・写真・動画 岡本絵麻)

編集後記

西陣織の織屋で働く筆者が毎日見て触っている絹糸。私は初めて「撚糸工場」へ現場見学に行きました。想像よりも低速でゆっくりと撚りをかける工程が美しかった。連日警戒レベルの猛暑日が続く中、お話を聞かせてくださり、撚糸の見学にもお付き合いいただいた蚕光の中岡社長、見学をさせてくださった澤田社長、ありがとうございました。撚糸の工程を拝見し、更に絹糸の繊細さと職人技の奥深さを実感しました。とっても楽しかったです。

沢田撚糸の澤田社長と蚕光株式会社 中岡社長 撚糸の工場にて
沢田撚糸 澤田社長(左)と蚕光株式会社 中岡社長(右)

次回は染屋さんの声をお届けします。

今までの職人インタビューはこちらから。

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