「西陣は、分業で仕事が成り立ち、文化が紡がれる凄い場所だと思います」

岡本尊子
光雄の妻。宮崎県高千穂の出身。関西の短大を卒業後、京都で働いていた時に光雄と出会い結婚。検反・経理などを担当。

九州の出身で、短大への進学で奈良に来ました。私にとって、奈良や京都の文化や町並みは憧れの対象でした。しばらくは住んでみたかったので、卒業後もこちらに就職しましたが、2、3年たったら故郷に戻るつもりが、夫と知り合い嫁ぐことに。それまで西陣織の知識はなく、初めて工場を訪れたときに立派な手機や織物を見て驚きました。夫が織機の前に座り仕事を始めると、外で見せる顔とは違う表情になるのも新鮮に思いました。今から50年ほど前の話です。

まわりの人から「織屋に嫁ぐと大変やで」と言われて覚悟はしましたが、両親をはじめ家族みんなにたいへんよくしてもらい、自然と溶け込むことができました。もちろん反物を見るのは初めて、糸もさわったことがありませんでしたが、両親からハサミの持ち方から丁寧に教えてもらって、少しずつ仕事を覚えていきました。それでも私は、今でも工場に入って仕事するときには緊張をします。検反も見落としがあってはいけない大切な仕事だし、次々と織り上がるので手早く見なくてはいけません。とても責任を感じる、緊張する仕事です。その点、やはり義姉たちは慣れたもので、何をするにも手つきがまったく違いますね。私はみんなが少しでも作業しやすいように、お客さまの応対から、在庫を調べたり必要なものを準備したりする雑用まで、段取りをする役割を果たすことが好きです。事務や雑用は、若い頃は手書きのメモを見ての作業でしたが、今はパソコンが中心になっています。息子が出先からスマホで指示してくることにも最近になってようやく対応できるようになりました。

こうして織屋の一員となって、それまでも好きでよく訪れていた神社仏閣に当社で織り上げたものが納められていると聞いたときは、誇りに思いました。どこへ行ってもひょっとしたらうちの柄がないかと探してしまいます。そういえば父の3回忌には小さな三角打織を仕立てて故郷の親戚に配りましたが、みんな感動してくれ、嬉しかったです。

西陣という場所は、いろんな役割の方がいらっしゃって、どこが欠けても成り立たないと思っています。この積み重ねで文化が紡がれているのは、本当に凄いと、他の地方から来た分、強く思います。出入りする取引先の方と、お互い年いったねと笑いあいながらも、ここで長い歳月を過ごして来られたことを幸せに思います。高齢化に後継者不足など、さまざまな問題がありますが、心配ばかりしていても仕方ないので、長く続いてほしいと願うばかりです。

(2023年11月13日取材/文・森本朕世)