西陣織とは?
西陣織(にしじんおり)は西陣織工業組合に所属している織屋で織られている織物です。京都の北西部(上京区、北区)は平安時代より織物製造業者が集まっていた地域が西陣と呼ばれています。
古墳時代に唐から技術が伝わってきた事により、京都で高級織物の製織が始まりました。室町時代に京都で起こった「応仁の乱」の際に西軍の大将であった山名宗全が「西の陣」を敷いた一帯が「西陣」と呼ばれるようになり、西陣織の名称がつけられました。「東の陣」の大将は細川勝元。西陣織は織屋によって製造工程が多少異なりますが、国から12種類の品種が西陣織として昭和51年2月26日付で国の伝統的工芸品に指定されました。西陣織の織屋たちは各々の個性を生かした織物を今日も製織しています。
特長と製品
西陣織は、
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- 爪掻本つづれ織 指先をやすりでノコギリ状に削り、爪先を筬として横糸を掻き寄せてり、紋紙データなどに頼らずに複雑な織物を織ります。
- 経錦 経糸で地と紋様を出します。
- 緯錦 緯糸の組み合わせで豊かな紋様を出します。当社の織物はこちらです。
- 緞子 地厚で艶のあるサテン。
- 朱珍 4の緞子地に緯糸を使い、様々な織紋様を出します。当社の織物はこちらです。
- 紹巴 経糸・緯糸ともに強撚糸を使い、緯糸で織紋様を織りだします。
- 風通 経糸・緯糸の色を変え、表裏に同形の模様が反対の色合いで表したもので、昼夜織ともいわれます。
- 捩り織 2本の経糸を捩りながら横糸と織り込んだ目の粗い織物のことで羅・絽・紗等透け感のある織物を織ります。
- 本しぼ織 撚糸に工夫をし、しぼが現れるようにした織物。
- ビロード 天鵞絨、パイル織物で西陣では手切りのビロードが織られています。
- 絣 織りあがった時に模様が出るように染められた経糸・緯糸を使った織物
- 紬 節のある糸を使い、独特の質感を出した織物
上記のように多種多様な織り方が発達していことが特徴的です。糸を先染めをしてから織っているため、一般的な染色法である後染めよりも複雑で重厚な織物が織りあがるのが魅力の一つです。組織は平織りから複雑な羅まで、糸は化繊・綿・絹・先端繊維まで、デザインはシンプルなものから凝ったものまで様々な種類を織っています。
「西陣」「西陣織」は西陣織工業組合が所有する登録商標によって、保護されています。
西陣織の歴史
その起源は5世紀から6世紀にかけての古墳時代にまで遡ります。渡来人である秦氏によって伝えられた養蚕と絹織物の技術は、平安時代に官営の織物工房で発展し、織部町という職人の集まる町が形成されました。室町時代には、大舎人町で生産される絹や綾が高品質で珍重され、「大舎人座」と呼ばれる組織が誕生しました。応仁の乱後、大阪の堺に避難していた職工たちは京都に戻り、西陣地区で織物業を再開し、紋織技術を確立しました。
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平安時代(794年~1185年)
古墳時代に渡来人である秦氏の一族が京都・太秦あたりに住みつき、養蚕と絹織物の技術を伝えました。平安時代には朝廷用の錦・綾・紬・羅などの織染をする、官営(内蔵寮)の織物工房が設立され、高級織物を織りだします。朝廷では絹織物技術を受け継ぐ職人たちを役所のもとに織部司(律令制において大蔵省に属する機関)という組織を作り、朝廷用の錦・綾・紬・羅を生産させました。
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室町時代(1336年~1573年)
大舎人町で生産される染織製品の絹や綾は高品質で珍重され、室町時代に「大舎人座」と呼ばれる組織が誕生しました。この組織は朝廷の内蔵寮からの高級織物の需要に応えながら、一般の公家や武家などの注文にも応じていました。大舎人座は今の京都市上京区上長者町あたりで活動していたようです。
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応仁の乱(1467年~1477年)
この戦乱による火災で、大舎人町は壊滅状態となりましたが、戦乱が治まった10年後くらいには大阪の堺に避難していた職工たちは再び京都に戻り、大舎人町の近くの白雲村(現在の上京区新町今出川上ル付近)や大宮今出川付近で織物業を再開しました。西陣織という名前は、西軍の本陣跡である西の陣が由来となっている地名です。
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紋織技術
空引機が導入されたことで紋織が盛んになり、高級絹織物・西陣織の基礎が築かれ、産地としての西陣が確立されました。明治維新後、西陣はフランス、リヨンに留学生を送り、先進技術であったジャカードを取り入れました。これにより、近代化に成功しました。現代では空引機(下記の画像)は西陣織会館で復活されているだけですが、一般では手機・動力織機・レピア機・エアージェット機などで織られています。
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現在
西陣織は多品種少量生産が特徴で、宗教金襴や帯だけではなく、アパレルやインテリア用途の製品も生産されています
現代への適応
現代でも西陣織は多品種少量生産を特徴の一つとしています。300社近くある織屋それぞれが、得意な技法や素材を使って製織、有名な帯・宗教金襴・ネクタイ・表装・傘・ショールだけではなく、インテリア用途など新しい製品も生産しています。西陣では伝統的な素材や技術を守りつつ、新しいデザインや用途に合わせた製品開発をしています。
制作工程(当社の場合)
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図案(ずあん)
西陣織は織り上がった生地に染色していくのではなく、先染めした糸を使って生地を織る製法です。そのため、織り上がりのイメージを想定した図案を企画する必要があります。図案家は、顧客から注文を受け、顧客のイメージ通りの図柄に図案を描きます。これは意匠のすりあわせの為に何度もやり直しをする場合があります。
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紋意匠図(もんいしょうず)
次に設計図を作ります。これを紋意匠図といいます。方眼紙のような紙(正方形ではなく、製織する織物の経緯比に即したマス目)に拡大した図案を投影させ、鉛筆で型を書き写す「マワシ」、マス目に併せて色を塗る「ハツリ」を行なっていました。マス目で、ジャカート織機の経糸(縦糸)と緯糸(横糸)の組み合わせを示すのです。紋意匠図には糸色のほか、生地が織りやすいように工夫されたさまざまな情報や指示も盛り込まれています。今ではフォトショップなどのデジタルデータで描くことが多くなっていますが、デジタルと言えど、荒いドット絵のようなものなので、ドット一つ一つを描いていきます。
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紋彫(もんほり)
織り機が紋意匠図の情報を読み取って図案通りの図柄を織り上げるために、紋彫という作業を行ないます。紋掘とは、紋紙(もんがみ)という紙に穴を開けていくことで、経糸と緯糸が上下する位置や色糸の組み合わせといった情報を一マスずつ指定する方法です。ピアノ式紋彫機などの機械を使って、正確に穴を開けていました。今ではコンピュータグラフィックによる処理が普及し、紋紙は実物の紙ではなくて、GGSデータとして作られます。下記の写真は、当社の手織用の、前機械用の小さな組織用の紋紙です。これは製織するための情報量が少ないので、手で穴をあけていきます。
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撚糸(ねんし)
絹糸の準備。撚糸と呼ばれる作業に出します。これは複数の絹原糸を撚り合わせ、糸の太さを調整します。さまざまな太さの糸を撚り出すことで、西陣織特有の風合いを生みます。これは織る製品に合わせて様々な太さの絹糸を使い分けます。
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糸染(いとそめ)
絹糸を練りに出します(精錬)。染屋が絹糸の不純物(フィブロインと呼ばれるタンパク質とセリシンと呼ばれる膠(にかわ)状のタンパク質や蝋などの天然不純物)を取り除き、輝く白い糸に仕上げます。そして発注した通りの色合いに糸染を行ないます。当社は染めの色も多い為、少量づつの染となるので、染職人の勘が大事な「勘染め」で染めています。
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糸繰(いとくり)
経糸と緯糸を糸枠に巻き取る糸繰を行ないます。かつては手動で糸を巻き取っていましたが、現在は機械による糸繰が主流です。
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整経(せいけい)
織物に必要な何千本もの経糸は必要量の長さに揃えて織ることができるように「ちきり(ビーム)」と呼ばれる織機にセットする丸い筒に巻きます。この作業を整経(せいけい)といいます。
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綜絖(そうこう)
経糸を織機にセットする時に糸や針金で出来た綜絖と呼ばれる部分に通します。これは、経糸と緯糸が西陣織の複雑な柄を編み出すための重要な工程です。
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緯巻(ぬきまき)
緯糸として織り込むため、糸を細竹状の管に巻き付けます。
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製織(せいしょく)
製織には手機(てばた)・動力織機(どうりょくしょっき)・綴機(つづればた)。レピア機・エアージェット機が用いられます。近年はレピア、エアージェットが普及してきましたが、金襴などの絹を多用した繊細な織は手機や力織機によってゆっくりと織る必要があります。
これらの工程を経て、西陣織はその繊細な美しさを世に送り出しています。伝統的な技術と現代のニーズが融合した西陣織は、日本文化の象徴として、今もなお多くの人々に愛され続けています。
参考文献:西陣天狗筆記物語 私説西陣の歴史 駒敏郎