西陣の織機の音は、仕事の音ではなく、暮らしの音でした。
この記事では、ジャカードの仕組みを「説明する」のではなく、織機と共に暮らしてきた側の記憶として、西陣の日常を残します。
中心となるのは、私の夫であり当社代表・岡本圭司の記憶です。
私は、西陣で西陣織金襴を織る岡本織物株式会社で、紋意匠(テキスタイルデザイン)を中心に仕事をしている岡本絵麻です。
私は北海道札幌市で生まれ育ち、1998年から西陣で西陣織金襴という織物の織元で紋意匠(テキスタイルデザイン)の仕事をしています。
道産子の私が西陣で働いているのは、結婚した相手の実家がたまたま西陣織という家業をやっていたためです。
大学で染織を学んでいたこともあり、すんなりとこの仕事に馴染めたような気がします。
岡本織物 代表取締役 岡本圭司の記憶
その記憶を、彼自身の言葉で少しだけ引用します。
僕が育った家では、いつも織物を織る手織り機や、糸繰、糸巻の音が聞こえていました。
祖父母や父母はもちろん…
彼にとって、ジャカードを載せた織機の音は生活の一部でした。
家の中の低い振動
当社、西陣岡本にとって、織機は工場にある設備というだけではありません。
家族で住んでいる家の中にあり、生活空間のすぐ隣で織機が動いている環境で、食事の時間も、来客の声も、どこかで機械のリズムと重なっていました。
機械の音、振動、油の匂い。それらは日常の背景であり、特別に意識するものではありません。
「機械を扱う」ではなく「道具と向き合う」
当社では5台の手機(手織り機)が稼働しています。
同じ織機を使っていても、織る人によって布の表情が変わります。
打ち込み具合など、調子が良い日もあれば、どうしてもうまくいかない日もある。
ジャカードを載せた織機は、単なる装置ではなく、人の手と感覚が入り込む存在です。
西陣では、それを「機械を扱う」というより、「織るための道具と向き合う」と表現するほうが近い感覚かもしれません。
外の静けさが、逆にうるさかった
西陣の外に出て初めて、自分の育った環境が特殊だったことに気づきました。
「家の中で仕事?それって仕事なの?」と聞かれたこともあります。西陣では当たり前だったことが、外ではまったく理解されませんでした。
織機が家にあること、家族全員が何らかの形で仕事に関わっていること。
そのどれもが、西陣の外では説明を要する出来事でした。
ジャカードは「西陣の分業」をつなぐ要
フランスのリヨンから伝わってきたジャカード織機は、経糸の上げ下げを制御する装置で、複雑な紋様を織ることを可能にしました。
ジャカード織機は、西陣織の中で重要な役割を担っています。
ただし、それだけで布が完成するわけではありません。
図案、糸づくり、染色、整経、紋紙、引箔、そして製織。
西陣織は分業によって成り立つ産地であり、ジャカード織機はその一工程を担う存在です。
西陣織の分業構造や製織工程については、以下のページで整理しています。
音が減る、という喪失
静かになることは、必ずしも豊かになることではないのだと、後になって気づきました。
かつては西陣では当たり前だった人の音、気配。それらは少しずつ減っていきました。
機械が残り、人がいなくなる。
その状況に、違和感を覚えることもあります。
織機は人がいて初めて意味を持つ存在だからです。
それでも、織機の前に立つ理由
なぜ私達は今でも西陣で織っているのか。
その問いに、明確な答えがあるわけではありません。
ただ、京都の中で職人たちと連携し、分業として成り立ってきたこの仕事を、自分たちの代で切り離したくない。
その思いだけは、はっきりしています。
西陣の織機の音は、止まったときに初めて「暮らしだった」と気づく音なのかもしれません。
