こんにちは。
京都西陣にある金襴織屋の岡本織物です。金襴と言う織物を毎日織っています。
主に、神社仏閣の荘厳に関するものを織っているのですが、自分達の布が製品になって使われている所をあまり見たことがありません。もちろん布地は毎日見ているんですけど。
いったい金襴はどのようなところで使われているのか?という疑問を抱いて、金襴を探してさまよっています。京都に沢山あるお地蔵さんにはおべべやミニ戸帳として使われています。そしてもちろんお寺には沢山あるはず(しかし金襴はお寺の宝物の為、法要など重要な時にしか使われてない事が多い・・・)普段着の金襴で結構。色々と探してみましょう。
というテーマでブログを書いていることが多いです。
神社仏閣がテーマ→https://okamotoorimono.com/category/templeshrine/
道々のお地蔵さんがテーマ→https://okamotoorimono.com/category/jizo/
最近では金襴がかかっていなくても神社仏閣&お地蔵さんが大変面白いのでブログで紹介させていただいています。
今日は京都四条河原町からほど近い柳小路という路地の八兵衛明神さん。柳小路は河原町沿いのOPAの裏、裏寺町通りと新京極に挟まれた2mほどの路地です。最近になって石畳になったり柳が植えられて情緒のある路地へと変身しはりました。こういう変身は大歓迎。このちょっとだけ曲がった感じが良いですね。
路地は最後まで見通せないのが良い色気です。昔ながらのお店もありますが新しい感性のお店も増えています。お洒落な家具屋さん、ほんものの飴ちゃんを樹脂で封じたアクセサリー屋さん、美容室、短い通りですが見応えのある路地です。路地を出たらすぐに地下足袋スニーカーで有名な「SOU・SOU」さんの本店がありますよ。
その柳小路の中にありました「八兵衛明神」。見逃しそうです。明治維新後、京都を騒然とさせた東京遷都。その流れでこの界隈もすっかり寂れてしまい、狸が住むほど荒れ果ててしまったそうです。東京遷都はえらい大事件だったようです。戦後しばらくは京都御苑もおばけやしきのような状態だったという話を聞いた事があります。
今は山科区にある歓喜光寺というお寺があります。最初は善導寺という名称で八幡市にあったそうですがその後、六条の東洞院へ移した時に歓喜光寺という名前に改められました。そして応仁の乱の後に太閤秀吉が京都市中のお寺を寺町通りに集めた事で歓喜光寺も四条京極へ移転されました。明治維新後の明治40年に東山の五条東大路に移転。更に昭和50年に駐車場建設のために山科へ。こう書くとお寺は普遍のようですが色々と大変な目にあってますね。
その歓喜光寺が京極にあったときにお寺の境内で狸が3匹死んでいたそうです。その狸の霊を悼み「八兵衛明神」「七兵衛衛明神」「六兵衛衛明神」と祀って地域の鎮守社とし3社が創られたそうです。なるほど~。しかし八兵衛さんの他はいずこに?
現在、「八兵衛明神」はこちら柳小路通に、「六兵衛衛明神」は、旧東宝公楽という映画館、「七兵衛衛明神」は、第二京極通りに面している丸二食堂に祀られているそうです。
なんと!今度探してみねばなりません。
こんな、小さな明神さんにも色々な謂れがあるんですね。
それで、信楽焼きの狸さんが沢山いはるんです。
八兵衛さんの名前をお借りしたお店です。
この柳小路を抜けると「SOU・SOU」さんのお店が沢山あります。こちらは「SOU・SOU」さんのスタッフ用の自転車置き場があまりにお洒落なのでパチリ☆おしゃれな自転車じゃないと停めたらあかんのかも。私の超ママチャリじゃ、スタッフになる資格すらないかもしれません。
私事ですが、昨日大山崎にある大山崎山荘美術館に行ってきました。アサヒビールさんの施設です。先日銀座の画廊で拝見してとても面白かった現代美術を観に行きました。
面白い!初めて寄せてもらった大山崎山荘も素晴らしかったですが、その調度の中に違和感無く鎮座する可愛らしい武者人形たち。野口哲哉さんは1980年生まれとまだ30代。若い!そして重厚で精巧だけれど軽妙な作品群。その作品量。作品につけられた解説文。なんて面白い人なんでしょう。銀座で拝見したときには友達が作品の解説をしてくれはったのですが、その時にも「作品に物語があるというのが素晴らしい」と思ったものですが今回拝見してその解説を読みながら拝見すると声を出さずに抱腹絶倒しておりました。
「猫用の鎧」と「紗練(しゃねる)’家」の作品が私のお気に入り。うちの子供は「ロケットマンが最高やな」と申しておりました。「紗練(しゃねる)’家」はシャネル本店がお買い上げになられたようです。
思わず買って来ました。
図録と「極上鉛人型合金」左がホバリングマンで右がロケットマン。
最高でした。7月27日までです。