奈良と言えば、大仏様。(鎌倉と言っても大仏様ですけど)。
そういえば、修学旅行で見たはずだけど全然覚えてないわ~。
折角奈良に来たんやし東大寺に寄っていこうか?
春日大社の「萬葉植物園」の藤を堪能してから移動しました。
春日大社の本殿には時間の関係で参っていません。次回!是非!
萬葉植物園からは10分ちょっとで着きます。
若草山を見ながら歩きましょう。
うわ~。いい門やなあ。この門の名前は南大門。
「大華厳寺」と書いた扁額がかかっています。この扁額は、2006年10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものです。綺麗ですね。
この門は平安時代に台風で倒壊、鎌倉時代に復興されたものです。おお。道理で。ものすごい風格を感じていましたが鎌倉時代のものだったとは・・・。
この小さな竜が可愛いんですがなんて言うのかなあ。
創建時は朱だったんでしょうね。
この巨大な暖簾?は雲に鳳凰:染物です。
高さ8.4メートルの金剛力士立像、こちらは阿形。阿形像は大仏師運慶および快慶が小仏師13人を率いて造ったそうです。
こちらの吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人と共に造ったもの。
1988年5、6年かけて初めての解体修理が行われて、像の中から多数の納入品や墨書が発見されたそうです。
中の宝物も気になりますが、この表現、すばらしいですね。高さ8.4メートルもあるそうですが、この布!運慶、快慶は私でも知っている有名仏師ですが、これは、素晴らしい。創建当時は網などかかっていなかっただろうし、より迫力があったんでしょうね。
近づきたかったけれど、近すぎて見えません。
この布も、大きいんですよ。写真では半減ですが迫力あります。
これは南大門の天井。だいたい、門がこんなに大きな必要って・・・やっぱり大仏のある東大寺だから大仏にあわせたらすべてが大きくなっていくのでしょうか。
南大門を通って歩いていくと、あの塀、魅力的・・・。
勧学院の門です。勧学院は、東大寺真言院の境内にあります。真言院とは、弘法大師=空海(東大寺・別当も務めはった)が、821年に開設した灌頂道場(宮中での天皇陛下の安全を祈禱、また秘法を行なった真言の道場)が始まりであり、南都(奈良がかつての平城京で、平安京(現在の京都市中心部)から見て南にあったため南都と呼ばれた)における真言教学の拠点となった所。
昔、ここは日本の中でも最高学府で最先端の智の都だったんですね。
勧学院では、各方面でご活躍されている先生方を講師にお招きして、仏教や文化の講座を開講致しています。以下に講座の紹介をさせていただくので、お誘いあわせの上、ご来聴下さいますようご案内申し上げます。
なんと、無料です。近かったら・・・面白そう!!
華厳と禅:沖本克己先生
仏像とその宇宙:山岸公基先生
歌謡(うた)の文芸史:永池健二先生
華厳五教章を読む:狹川宗玄長老
チベット文化を探る:高山龍三先生
この講座に行きたい!こういう日本の事を深く知っていくことは、私の西陣織の仕事を深める以上に人生に必要なのでは?と今になって実感。もっと、時間のある学生時代に実感しておけばよかった・・・。やっぱり一度働いてから学生になるべきじゃないかと強く思います。
私、このような瓦のリサイクル塀が大好きで。いつかこんな土遊びをしてみたいと思っているんです。こういう質感好きだなあ。
ああ、まるでムーピー。
温かい!産毛がほわほわ。気持ちよいです。握り締めたいけれど、軽く触れる程度にしておきます。
とても野生とは思えません。知らない人に触られまくっても全く微動だにせず。
1716年ごろの再建と言われる中門。南大門より500年ほど若いですね。
中門から大仏殿までも可愛い「棒の先の竜」が等間隔に並んでいます。これは・・・なんやろ?
こう写真に撮るとよくわかりませんが、実物見ると大仏殿はほんまに大きいです。
こんなに大きいと創建当時の民衆(民衆が見物できたかどうかはわかりませんが)貴族たちでもびっくりしたことでしょう。高層建築を見た事のある私でもびっくりします。
小さく見える金銅八角燈籠。かんぬきが見えるので厨子かと思いました。国宝です。たびたび修理されていますが、基本的には奈良時代の創建時のものです。4面には楽器を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)像が見られます。
木戸も大きい!何もかもが大きい!
びんずるさんもこんな大きさです。こんな大きなびんずるさん初めて見ました。
大きすぎて手が届かないのであんまりぴかぴかつるつるしていません。
うっわ~大きい・・・と言いたかったんですが、大仏殿があまりに迫力あったのとびんずるさんが思いもかけない大きさだったので大仏様は・・・まあ、想像通りというか・・・びっくりしませんでした。
こちらの大仏様は東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)。
聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われたが、大仏は中世、近世に焼損したため大部分が補修されており、建立当時の部分はごく一部である。「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。—wikipedia
子供の入場券によりますと・・・
東大寺は、世界中の人たちがみんな幸せになるようにと言う願いを込めて、奈良時代に聖武天皇がお建てになったお寺です。
大仏様はその本尊で、盧舎那仏あるいは毘盧舎那仏と呼ばれています。あの大きなお手で、不幸な人や悩みのある人をのこらず救い上げてくださるという、慈愛の心に満ちた仏様です。
大仏殿は国内の戦争のために二度も焼失していて、今の建物は江戸時代に立て直された三度目のものです。最初と二度目のものと比べると約三分の二の大きさですが、それでも世界で一番大きな木造の建物です。大仏様のお顔や両手などは火災のたびに作り直されたものですが1250年前に大仏様を作った人々の心は、たびたびの修理のお陰で今に伝わっているので。世界最大の銅像でもある「奈良の大仏さま」は世界中の人たちから大切にされ、親しみを持って拝まれています。
と、書いてありますが・・・創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出されています。
聖武天皇は「世界中の人が幸せになるように」とは思ってないような気がしてしょうがありません。どうなのでしょうかね?時の権力者としてこの当時の貴族は下々のことまで考えたのかしら。
この当時は災害や疫病(天然痘)が多発したため、当時の人々は科学的に対処する事が出来なかったから神仏頼みで、天皇も仏教に深く帰依して国分寺を立てたり大仏を作ろうとしたり、都を色々変えようとしたり、厄落としに一生懸命だったらしいのですが、それはやはり民衆からは多額の取立てをしてお金を用立てなくてはいけなく、民衆から支持されたのかどうか・・・私なら支持しませんが神仏頼みのこの当時はしょうがないのでしょうか。
などと考えながら大仏様の下を見ると。金襴発見。
西陣織だと思われる金襴地。赤地に唐草十六菊。小さく見えるでしょ。これは大打敷です。
大きいと思いますよ~。
「ここから受注来ないかなあ。大仏の後ろを荘厳する金襴とかど~んと「手機 本金引き箔」で来たら嬉しい♡」と夢想。西陣織屋として「こんな所にうちの布が普段使いでもかかったら嬉し」と思うのは性ですね。
大仏様が桁外れて大きいだけに金襴も単純明快に大胆な柄がかっこいいですね。
大仏殿は寄棟造、本瓦葺き。一見2階建てに見えるが、構造的には一重裳階(もこし)付きで、正面5間、側面5間の身舎(もや)の周囲に1間の裳階を回している(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語)。高さ46.8メートル、間口57メートル、奥行50.5メートルで、高さと奥行は創建時とほぼ変わりないが、東西の幅は約3分の2に縮小されている。建築様式は、鎌倉時代に宋の建築様式を取り入れて成立した大仏様が基本になっており、水平方向に貫(ぬき)を多用するのが特色である。—wikipedia
これは大仏様の座っている蓮華のレプリカ。紋様可愛い♡
大仏さま、すなわち盧舎那仏の座っておられる蓮台の周りの蓮弁に、いずれも同じ図柄の絵が毛彫りで描かれています。
奈良時代に線刻された「蓮華蔵世界図」と呼ばれているものです。
それは大まかに言って上下二つの部分からなり、上半分には説法図の如来像が大きく刻まれ、その左右に各々十一体の菩薩像が対象的に、かつ群像として見事に描かれています。
下半分のところには、26本の界線が横に引かれて小仏や宮殿が点在し、さらに下方には請花と反花の一対になった蓮弁が七対あって、各々の請花には山脈や宮殿、それに小さな釈迦三尊像や四頭の動物の頭が描かれた逆梯形などが見えます。
この複雑な図柄は「華厳経」が説く宗教的世界観を絵で表現したもので、お釈迦様が六年間の修行の末、大いなる宗教体験を得られ、無限の広がりをもつほとけになられた時の状態が説かれています。
この鐘は小さな音で叩きます。叩きたくなりますよね。ちゃんと叩きました。
この鋳物の花瓶&蝶も巨大です。
蝶、かわいいです。頭とか。漫画的な。このまま手のひらサイズしたら装身具にもいいなあ。
虚空蔵菩薩像です。木造だそうです。京都の仏師山本順慶一門と、大坂の仏師椿井賢慶一門らにより、30数年をかけて製作されたもので、この虚空蔵菩薩は1752年の完成。
如意輪観音菩薩像は1738年頃の完成。虚空蔵菩薩より14年早く完成です。
この階段がすごいんです。登ってみたいわ~。
広目天—江戸時代復興期の像です。
この躍動感のあるマント。
大仏様の後姿。
本堂の片隅に昔の鬼瓦やしゃちほこがありました。大きい!「大きい」という言葉を繰り返し繰り返し書いていますが、大きいんです!!
これ、屋根にどうやって乗っけるのかしら。クレーンのある今でも大変そうなのに昔は一体どのようにのっけたのでしょう。どうやって焼いたのかも不思議すぎます。
大仏殿の名物として「大仏の鼻の穴の大きさと同じ大きさの穴の開いている柱くぐり」をくぐろうと思って待っている間にこういうものをじろじろと観察できました。
ちなみにその穴・・・
大仏殿の中でも鬼門に当たるところにあるそうで、その悪い邪気を祓うというか、停滞しがちな悪い空気を逃がすために柱に穴を開けたという説があるそうです。我が西陣にある清明神社の陰陽道ですね。京都では普通の家でも鬼門をちゃんと設けている家が多いです。我が家にもあります。
さあ、穴も無事にくぐったし(私はとても時間をかけたらくぐれるかもしれない、と思ったんですがあまりにも観客が多くてそのなかを悶絶しながら小さな穴から出てくる度胸は無かったので見ていました。大人であそこをくぐるのはかなり空いているときがいいと思います。)いざ京都へ戻りましょう。
帰り道に鯉にあげようとお麩を購入しましたが、鯉もおなかいっぱいで全く食べてくれず、お麩や鹿せんべいが池にぷかぷかと浮かんでいました。
東大寺はユネスコより世界遺産に登録されています。
京都もよいですが、自然に囲まれた奈良も良いです。
京都にいらした際は近鉄ですぐですので奈良にもどうぞ。
西陣織のHILLTEXもよろしくおねがいします。