こんにちは。
西陣の金襴織屋の岡本織物です。皆様いかがお過ごしでしょうか。昨夜のスーパームーンも美しかった。
秋です。この間御節を作ったばかりと言うのにもう9月もお仕舞いになりそうです。
秋というのも忙しいものです。でも夏の暑さがどこかへ行ったので良しとしましょう。あの暑さには閉口しました。いやいや、毎年毎年閉口しています。現在進行形で言っておきます。猛暑はきませんように。そして冷夏も来ません様に。冷害も水害も噴火も地震も来ませんように!
サラメシの放送をご覧になられた方はお解りだと思いますが弊社の工場、一応耐震加工はしているのですが極めて怪しい。工場の柱は耐えられても紋紙は棚から落ち、屋根の瓦は滑り落ち、天井のクーラーは落ちて・・・色々と落ちてきたモノ達が織機を直撃して機は壊れるし糸は切れるし・・・・。
ひ~。想像しただけで恐ろしい。
昨日のブログの天王寺区堀越町 旅の宿 葆光荘のお近くのお地蔵さんについて。こちらは「谷の清水」と言われている清水が湧き出す場所。
お地蔵さんは「清水井戸地蔵尊」と言われているらしいです。
今でも井戸がこんこんとわいているようです。地図を見たところ、天王寺は海にも近いですし標高は低そうですね。柏原の方からの水が来るのでしょうか。
「摂津名所図会」には、「谷の清水、庚申堂の南一丁ばかりあり、清泉にして甘味なり」とあるそうです。
「摂津名所図会」とは京都の町人・吉野屋為八が計画。1796年(寛政8年)~1798年(寛政10年)年に刊行された、摂津国の通俗地誌。観光案内書でもあった。9巻12冊。編集は俳諧師・秋里籬島(あきさと りとう)が担当し、絵は『(絵本)名物浪花のながめ』『鳥羽絵欠び留』などを描いていた竹原春朝斎(たけはら しゅんちょうさい)が担当。秋里籬島による名所の由来記、竹原春朝斎による俯瞰図を多用した挿絵が特徴である。この2人は『都名所図会』を皮切りに、吉野屋為八が企画した多くの名所図会を手がけていた。その上、編者や画家に、籬島、春朝斎以外の人々、たとえば画家の丹羽桃渓らの参加を求めたので、名所図会は見た目が一層にぎやかになった。ーーーwikipedia
地蔵堂はとても賑やかに飾られていました。
昔はこちらの井戸の水源はここから約10m南西の民家の井戸からひいていたらしいです。しかし元井戸の水も涸れてきたので、昭和51年より現井戸の地下約15mをポンプで汲み上げているのが現実だそう。戦前は近隣の風呂屋、醤油醸造所がここの井戸の水脈を利用するほど水量は豊富だったそうです。戦後に減ったんですね。さびしいです。
「お水を自由にお飲みください」の湯飲みが置いてあります。
お地蔵さん。赤地の金襴地、小花唐草紋様のおべべをきてはります。
ああ、UPにしようと思ったらぼけてます。
お参り道具もちゃんと用意してくれてはります。
「清水地蔵尊」赤い提灯が素敵。京都のお地蔵さんの提灯より丸いな・・・。敷地に余裕があるからでしょうか。
今日の織屋の賄いはきのこと野菜の蒸したんに
でした。ごぼうの漬物も漬けてみました。ちょっと土臭かったかも・・・。