こんにちは。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。京都西陣の金襴織屋、岡本織物です。
金襴織物と言う「金糸・金箔糸」を多用した織物を織っています。主に、神社仏閣に関するものを織っているのですが、自分達の布が製品になって使われている所をあまり見たことがありません。
いったい金襴はどのようなところで使われているのか?という疑問を抱いて、金襴を探しています。お寺関係には金襴は多いのですが神社では金襴を見かけません。
そのようなテーマでブログを書いています。
神社仏閣がテーマ→https://okamotoorimono.com/category/templeshrine/
道々のお地蔵さんがテーマ→https://okamotoorimono.com/category/jizo/
今日は、京都を離れて東京は渋谷区神宮前一丁目。山手線の原宿駅でおりますと、ああ、竹下通り。
原宿といえばいまや、6%dokidokiを皮切りに「カワイイ!」文化が花開いています。ダイソーまでピンク。
しばらく歩くと東郷神社の入り口です。残念ながら平日なので「能美の市」はやってません。ここの通りはマリオンクレープがあるのでクレープの匂いが香ります。
昭和9年に亡くなった東郷平八郎が祀られた神社です。東郷平八郎とは薩摩出身の元帥海軍大将。今海軍大将といえば思い出すのはこちらの3人?
日露戦争において連合艦隊を率いて世界屈指の戦力といわれたロシア帝国海軍のバルチック艦隊を破った明治の英雄です。満86歳で亡くならはりました。亡くなった後に神格化されて東京都渋谷区と福岡県宗像郡津屋崎町に「東郷神社」が建てられたのですが、本人は「死後に神社が建てられるかも」という計画を聞いた時にかなり拒否していたという話が残っております。
「潜水艦殉国碑」
潜水艦の断面を型どった碑。碑面には「殉国」の二字を刻んであります。
太平洋戦争中 百二十余隻の潜水艦と共に戦歿された一万余人の乗員諸君 特殊潜航艇及び回天決死隊諸君 また諸公試 演練に殉難された諸君
諸君の遺骨は海底深く沈んで之を回収する途がない
しかし それは国難に赴いた諸君の忠誠が そのまま其戦場に在ることを意味する
民族の急を救うべく戦った犠牲の精神は永久に其処に活きている
残された潜水艦関係の吾等は個人と法人と併せて幾千
常に諸君の英霊の座する海底を見つめている
願わくは日本国民の全部も ありし日の諸君の勇姿を奮戦激闘の光景と護国の屍となった戦場とを緬想して敬弔の誠を伸ぶると共に 祖国再興の心の糧とすることを祈願して已まない
茲に曽て戦友 潜水艦建造関係者 外有志一同相計り小碑を東郷神社の聖域に建立して諸君不滅の忠魂に捧ぐ
↑の魚雷模型は実物よりも小さいらしいです。
↓「あ」↑「うん」の狛犬。めっちゃ強そう。ロボットみたい。
香淳皇后の歌 「やすらかに ねむれとぞ思ふ 君のため いのちささげ志 ますらをのとも」 。香淳皇后とは嵐のような昭和を生きた昭和天皇のお后様です。
「海軍特年兵の碑」
あゝ 14才 大日本帝国海軍史上最年少の勇士である 少年兵より更に2才も若く しかも特例に基ずいたものであったため特別年少兵 特例年令兵の名があり 特年兵と略称された
昭和16年帝国海軍はその基幹となるべき中堅幹部の養成を目的にこれを創設した
太平洋戦争の時局下に純真無垢の児童らが一途な愛国心に燃えて祖国の急に馳せ参じた
その数は17年の一期生3千2百名をはじめ 二期生4千名 3、4期生各5千名 終戦の20年まで約1万7千2百名におよんだ
横須賀 呉 佐世保 舞鶴の四鎮守府に配属されて活躍した
戦場での健気な勇戦奮闘ぶりは 昭和の白虎隊と評価された
だが反面幼いだけに犠牲者も多く 5千余名が 南溟に或は北辺の海に短い生命を散らした
しかし特年兵の存在は戦後歴史から忘れられていたため 長い間 幻の白虎隊という数奇な運命をたどっていた
このままでは幼くして散った還らぬ友が余りにも可哀想であり その救国の赤誠と犠牲的精神は日本国民の心に永遠に留め讃えねばならない
英霊の声に呼び覚まされたかの如く 25回目の終戦記念日を迎えた45年 俄に特年兵戦没者慰霊碑建立運動が高まった
戦火は消えて 26年の長い歳月の後に 多くの人たちのご協力によって碑が こゝ東郷神社の聖域に建立されるに至った
そして幻の特年兵はようやく蘇った
そのうえ 特年兵たちが国の母と崇めた皇后陛下の御歌を碑に賜わり 母と子の対面の象徴として表わしこゝに刻む
除幕式には 特年兵ともゆかりの深い高松宮両殿下の御台臨を仰ぐ栄誉に浴した
また 全国の生存者が亡き友の冥福を祈るため それぞれ各県の石47個を持ち寄り碑の礎に散りばめた
吾々は 今は還らぬ幼い戦友の霊を慰め 永遠に安らぎ鎮まらむことを願うと共に 特年兵を顕彰し その真心と功績を後世に伝え祖国繁栄世界平和を祈願しながら尽力することをこゝに誓う
いや、何も書くことはありません。東郷神社に入る前に私の鼻をくすぐったクレープの香りがまだ微妙にいたしましたが、甘い香りを嗅ぎながらまさかのこのような碑文を読むなんて。
さ、本殿におまいりに行こうかしらと思っていますと、長蛇の列。ものすごい人数の婚礼の列でした。しばらくは婚礼のために本殿は入れないようなので本殿参拝は諦めました。
クレープの香りを嗅ぎながら戦争の面影を見るというのはとてもとても、微妙な心持になりました。竹下通りをうきうきと歩く人たちはちょっと入ったところにある東郷神社のことは知っているのかしら?
ところで、ところで、竹下通りは私の知っている竹下通りとはだいぶ変わっていて外人さんの客引きが非常に多くなっていて興味深く見物いたしました。若いカップルが「こ~んなお洒落な服、あるよ。すぐそこだから一緒に行こう」と目の前で連れて行かれたりしました。みんな!「NOと言える日本人」になりましょう。