こんにちは。西陣で金襴という織物を織り続けて口に糊をしています岡本織物株式会社です。
金襴は神社仏閣の荘厳として発展した装飾布。
是非良いものをお眼に留めていただけると幸いです。
私は家業が金襴織屋な為、「金襴を市井で使っているところを見たい」という事で金襴探しから神社仏閣、お地蔵さんなどを見て歩いておりますが金襴は中々、かかってません。
今日のブログでも金襴は見つからず。
芝の増上寺のブログを書きましたが、その続きでございます。
芝の増上寺といえば徳川家の菩提所として有名。徳川の菩提所は上野の寛永寺と芝の増上寺。ある時から将軍は交代で寛永寺と増上寺に葬られるようになったそうです。徳川将軍15代のうち、6人(二代秀忠、六代家宣、七代家継、十三代家定、十一代家慶、十四代家茂)が葬られているそうです。ちなみに隣のプリンスホテルは菩提所に建っていると言っても過言ではないかも。
私、本来はお墓の写真は撮らないのですが、扉なら許していただけるやろ、こんな素晴らしい扉。撮らずにおれません。お墓というか御屋敷です。しかし、残念なことに東京大空襲などでほとんどが焼けてしまったようで当時のままの姿で残っている建造物としては霊廟入口の青銅で造られた門で上の画像の「鋳抜門」くらいだそうです。当時のままといっても昭和33年に、旧文昭院(6代将軍家宣)霊廟の宝塔前の中門だったものを移築したものだそうです。旧国宝で、青銅製の扉に左右五個づつの葵の御紋、両脇には昇り龍・下り龍が鋳抜かれています。重たそう~。
こちらには徳川将軍6人以外に将軍正室として二代秀忠夫人、六代家宣夫人、十一代家斉夫人、十三代家定夫人、十四代家茂夫人の5人、将軍の側室としては三代家光の桂昌院、六代家宣の月光院など5人、その他、将軍の子女を含む計38が入ってはるそう。う~ん。入ってあらへん奥さんはどないなってはるんやろか・・・。
門の左から下り龍。
三つ葉葵の御門。徳川家にも色々な葵があって徳川直結?の門は葵の柄の部分がちょっと曲がってるんです。
右が昇り龍。
素晴らしい門です。
でも、私自身は・・・死後は葬式もお墓も必要ないかな・・・。