4月10日金曜日。
春もたけなわと書きたいですが、寒波みたいな寒さが来たり雨が多かったりと体調を崩してはる方も多いと思います。どうぞ、ご自愛なさってお過ごしください。今日も西陣の金襴織屋、岡本織物は「町の中の金襴についてお届けしたいけれど金襴という布地はなかなかマイナーな布地なので出会える事が少なくて金襴についての情報をお届けする事叶わず、街中のお地蔵さんが十人十色で面白いのでお届けいたします」ブログ。という長い名前になってしまったブログをお届けいたします。
今日は創立者が足利義満である臨済宗のお寺、相国寺の南東角にいはるお地蔵さん。一休さんに出てくる「将軍様」が足利義満。足利 義満さんは室町幕府の三代将軍です。
今の季節、こちらの相国寺の西側の「同志社大学」では若い人達がわくわくしながら新しい出会いや、初めての校舎にときめいている事でしょう。
そうこちらのお地蔵さんは同社大学の東側、相国寺のお地蔵さん。
相国寺の塀の中に祠が設置されています。
相国寺のどこかと申しますと・・・以下のgoogle mapに加工をしたものの「ここ」と書いてある南東の角部分にいはります。ちなみに、ここら辺は応仁の乱で激戦区になったようです。相国寺の南側に池があるのですが昔は中に入れて、夫などは「ザリガニ釣り」等を楽しんでいたよう。しかし社会に詳しくなってきた小学生の中に「ここの池は応仁の乱の時に血だらけの侍たちがばったばったと倒れていたらしい・・・」という噂が広まり(噂と言うかこの池がその頃からあったかは謎ですが、実際に人は倒れていたと思います)「それから池に近寄れなくなった」と言う事です。
京都市内でそんなん言い出したらどこも近寄れへんがな・・・。
相国寺はとても良いお寺でして、承天閣美術館もありますし、広々とした境内を散歩するのはなかなか楽しい。秋には銀杏も拾えます。
他の道は時間によっては同志社の生徒さんで満ち溢れている事が多いのですが、ここらへんは近い割には交通の要所で無いからか人も少なめでございます。
「まあ、可愛らしいお地蔵さん」とのんきに観察していましたら「どん」と心に響くものが。殉国の英霊も祀られています。そうです。どこの町内でも70年前には涙を流していたのに違いありません。今年は戦後70年。天皇陛下ご夫妻もご高齢をおしてはじめてのパラオでの激戦地ペリリュー島であった日米慰霊碑に供花されたというニュースに昨日は思わず涙してしまいました。
天皇陛下は戦後70年となる今年の年頭にあたり、「この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」との所感を文書で公表されていた。
私は右でも左でもないのですが、天皇陛下ご夫妻があのお年で精神的にも肉体的にも大変であろう公務をなさっていると感激します。なんといっても精神的なご苦労は大変な事でしょう。どうもありがとうございます。
私も疲れたなんて言っていてはあかんですね。ファイトです。
道々のお地蔵さん、八百万の神にささやかな祈りをささげつつ今日も一日無事に過ぎますように☆
ではでは、皆様、西陣の織物をよろしくおねがいいたします。金襴というマイナーな布地もキラキラ☆と光ってきれいですえ。
以下は私の仕事のご紹介。西陣の金襴織屋、「金襴の輝きで生活を彩りたい」という思いで色々作っております。どうぞご覧ください。
テーブルランナーを飾り台などに掛けていただき生活に輝き☆を
素敵な香りと本金のきらめきを胸元や袂、ポケットに潜ませてと言う思いで作りました。匂い袋でございます。
今日の織屋の賄いは、鰤大根でした。
大根は朝から急遽炊いたのであんまり味がしゅんでません。やはり一晩置きたいところです。