こんにちは。
京都の西陣織金襴屋、岡本織物です。
今日の西陣織金襴屋のブログは「西陣織屋が金襴を探して」です。
京都市北区の鞍馬口通寺町を東入ったところに上善寺というお寺があります。寺町通りというだけに寺町にはお寺が沢山。
四条を下がってもお寺、上ってもお寺、御所の東側もお寺、今出川上ってもお寺。
お寺で東からやってくる何者かを防ごうとして築いた防波堤。それが寺町通り。
鞍馬口通りと聞くと「鞍馬山」を連想してしまいますが関連はあるのでしょうか?
東西の通りで下鴨中通で北に折れるて鞍馬街道になります。やはり鞍馬山参拝に使われる道だったんでしょうね。
鞍馬口通りは平安京からは外れていて、鞍馬口通りの西側は西陣の北部=船岡山の南側を走っています。私の好きな太閤さん、豊臣秀吉によって御土居が作られたときに、今で言えば出雲路橋西詰付近(賀茂川、上賀茂神社の近く)に御土居の出入口(京の七口)として鞍馬口が設けられたそうです。江戸時代にはこの通りが洛中と洛外の境界とされていたようです。洛中って結構北まで洛中だったんですね。
千松山遍照院と号する浄土宗の寺院である。
貞観5年(863年)に、僧円仁により、、天台密教の道場として千本今出川(上京区)に創建されたと伝えられている。
その後、文明年間(1469~87)に春谷盛信によって再興され、後柏原天皇の勅願寺として栄え、文禄3年(1594)、寺域を現在の地に移し、浄土宗に改められた。
地蔵堂に安置する地蔵菩薩は、平安時代の初め、小野篁が一度息絶えて冥土へ行き、生身の地蔵尊を拝して蘇った後、一木から刻んだ六対の地蔵の一つと伝えられ「鞍馬口地蔵」「深泥池地蔵、姉子の地蔵」などの愛称で親しまれている。
この地蔵は、当初、小幡の里に祀られていたが、保元年間(1156~59)に洛北の深泥池に祀られ、更に答辞に移されたものといわれている。毎年8月22、23日の京都六地蔵巡りの一つに数えられる。
「贈 正四位入江九一外七名首塚」この石碑は禁門の変で戦死した長州藩士の尊王攘夷運動志士の入江九一の首塚の石標。
こちらは本堂ではありません。地蔵堂です。
「六地蔵」は平安時代から伝えられています。小野篁が地獄と現世の間を行き来していた事で知られています。その小野篁が地獄に行ったときに地蔵菩薩が亡者を救う姿を見て感激しました。この地蔵菩薩の功徳を広めようと木幡山(こばたやま)の桜の木で六体の地蔵を刻んだのが起源とされています。始めは伏見六地蔵(大善寺)にあったのですが、後に後白河法皇が、都の守護、疫病退散、旅人の安全などを祈願するために、平清盛に命じて都の入り口六箇所に六角堂を建てさせ、一体ずつをお祀りしたのでした。
- 伏見六地蔵 大善寺 奈良街道
- 鳥羽地蔵 浄禅寺 西国街道
- 桂地蔵 地蔵寺 山陰街道
- 常磐地蔵 源光寺 周山街道
- 鞍馬口地蔵 上善寺 鞍馬口街道
- 山科地蔵 徳林庵 東海道
以上が六地蔵と呼ばれています。
地蔵堂の中に金襴があります。ぴかぴか光る布が金襴です。
大きさから言ってこの金襴布は唐花です。
↑のぴかっと光る金襴地は蓮唐草という名前の金襴です。
地蔵堂の戸には可愛いおまじないがたくさんついています。
こんな感じ。
お地蔵さんが沢山いはりました。
かわいらしいですね。
船岡山から東に向かって鞍馬口を歩いていると西陣中には楽しいお店がぼちぼちあります。西陣中は散歩するのに最適な路地も沢山。ぶらぶら歩いてそのまま東の寺町まで来てお寺見物した後、鴨川散策と言う散歩コースも楽しいですよ。
どうぞ、京都を楽しんでください。