皆様、ごきげんよう。京都西陣の岡本織物です。
今日のブログは・・・真宗佛光寺派 本山佛光寺というお寺が京都の下京区にあります。
佛光寺のサイトはこちらへ。
月代わりで「今月の標語」が載せられています。ありがたや。
親鸞聖人というカリスマが越後に流罪になった後、赦免されて京都に帰ってきた後に山科に庵を作ります。その時の庵が佛光寺の元だそうです。
真宗はどんどん勢いを増して民衆に人気が出てきました。すると佛光寺が繁盛する。と悲しいかな、やっかむ人が出てきて、そのような妬みからかある夜にご本尊や宝物を盗み出して竹やぶに投げ捨てたそうです。おとろしや。
その夜にこれもよう名前をお聞きする後醍醐天皇の夢枕に一筋の光が東南から差し込みました。
急いでその理由を知る為に人を使わせた所阿弥陀如来の木像が出てきました。その木造が佛光寺にあった阿弥陀如来の台座に一致したので勅願により「阿弥陀佛光寺」を略して佛光寺という寺号になったそうです。
その阿弥陀如来像を載せさせていただこうと思ったのですが「一切の転用を禁止します」だったので断念。
http://www.bukkoji.or.jp/houmotsu/index.html からご覧になられます。
御影堂門です。
本堂。
下がり藤紋です。その名も「佛光寺下がり藤」仏光寺の下がり藤は真宗でも西本願寺の下がり藤とはまたちょっと違います。東本願寺は牡丹。
下がり藤は、藤が長寿で(藤棚とかよくありますが、いかにも長生きしてはる藤って多いですよね)
これは近所の大宮児童公園の藤棚。
アップ。これは・・・長生きしてはるなあ。
豆も沢山なり繁殖力も強い目出度い植物として藤原氏(藤+藤の語呂合わせもあったんじゃないかしら)が家紋として取り入れたそうです。その影響?
でも親鸞聖人の家紋は「鶴の丸」だと言うし・・・。
日本全国、藤原氏 源氏、平家、橘氏が祖先だといいますからね~。昔の人は子孫繁栄が大事なことだったので誰だってどこかと血がつながっていますわなあ。
—–あくまでも私の推測がほとんどなので確実ではありません。間違えていた場合はご指摘していただけると幸いです。
岡本織物の家紋は「隅切りの橘」なので橘氏と関係あるのかな?
本堂にお邪魔しました。近所の人が憩ってもいいようになっています。しかし靴を脱がないといけないので大阪の津村別院のようにくつろいでいる人はいあらしません。↓
「見真」のお額が。「見真(けんしん)」とは智恵によって見極めることです。なんて難しいお題なんでしょう。私も少しでも見極めたいという心を持つことから始めないといけませんなあ。邪心ばかりです。
そろそろ金襴を探しましょう。
扉は金箔張りでぴっかぴか☆仏壇に金襴がかかってますが私のカメラではこれが限界・・。
こちらも遠くて見えません。ご本尊の阿弥陀如来様じゃないでしょうか。意外とご開帳されてるんですか?ちょっとびっくりです。
こういうところの意匠がこっていますね。荒波です。何かの物語が現されているのかしら。
場所によって作った人が違うのか年代が違うのか波の意匠も変わってきます。
松鶴図の襖絵。目出度い。
ここから↓
ここまで↑は欄間なのですが、なんらかの物語になってるんです。物語やなはわかるのですが、何のお話なのかは私にはわかりませんでした・・・。
googleで「仏光寺 欄間」で検索したら「京都の居酒屋 ちょもらんま」がトップに出てきてしまった・・。機会があったらまた行って調べてきます!
電気も立派です。下がり藤♡藤は意匠には最適ですね。ステンドグラスや影絵にもしやすいです。この意匠の障子とか素敵だなあ。曲がりくねってて作るの大変そうですが。
これも下がり藤。↑
木戸も下がり藤。
下がり藤尽くしです。
外にある、「何故ここに竈が?」という竈にも下がり藤が刻み込まれています。
南の仏光寺通りから見た横の面。上にも下がり藤です。
金襴は遠くて見えませんでしたが下がり藤がようけみられました。