新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん~西陣の金襴織屋の金襴探し

こんにちは。
一昨日のブログでは南禅寺の紅葉について写真を載せさせてもらいました。
まさに錦秋に彩られた京都。この「錦秋」の「錦」はとても岡本織物にはなじみの深い言葉です。岡本織物だけではなくて織屋ならすべてに馴染み深いかな。いや、平織り、朱子地で勝負の織屋も沢山ありますね。錦、というと「綾錦」という言葉のように「美しいものを総称」した言葉として使われます。

岡本織物では、「綾」=「錦」なのでございます。

織物の組織で言えば、下の図のように基本、3本の糸のうちの一本が上に出てくるのが綾織。・・・これでは説明になりませんね。平織り(ほんまに色々な織物に使われています。原始的な織物です。織りの基本は平ですね。そして滑らかに均一に織るのは意外と難しいものです)

は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交互に浮き沈みさせて織る織物の事ですが、綾織は、二本沈んだら一本出てくるという織物です。平織りよりも糸同士の接点が少ないので柔らかい織物になります。意図の組織が斜めに(下の画像は左上がり)になりますので「斜紋織り」と呼ばれる場合もあります。平織りよりも光沢が出ます。

錦織地 綾織
錦織地 綾織

そして「綾錦」ではありませんが、下の画像は「5枚朱子」と呼ばれる織物です。緞子、サテン等とも呼ばれます。糸同士の接点が少なくなる為に、強度は落ちますが、その反対に、艶、柔らかさがUpして非常につやつやの美しい布地が織れます。私も強度の欲しいところには綾織を、艶が欲しいときには朱子地を使います。

緞子 朱子織
緞子 朱子織
平織 綾織 朱子織
平織 綾織 朱子織

良いドレスを求めて三千里さんのブログでの生地がわかりやすかったので画像を拝借いたしました。おおきに。

何を書きたかったのかと申しますと、「秋を彩る綾錦」というのは西陣織のような美しい織物をまるで野山に広げたようだなあという意訳を書きたかったんですね。織屋ですから、自分のところの織物には目一杯ひいきをしまっせ。

さて、美しい秋に鼻の下を伸ばしている場合ではありません。

今日の西陣織屋のブログは新町寺之内上ル道正町のお地蔵さんです。道正(どうしょう)と言えば鎌倉時代に京都に生まれたお坊さん。諸国遍歴の後、1223年中国の宋へ渡ってはります。超エリートです。神人に会うという稀有な体験の後、神人に神仙解毒の法を授けられたという方で道正以後の子孫達は代々その医業を伝えたと言われています。その道正さんが京都上京区のここらへんに住んではったんですわ。それで道正町。

今は普通の住宅街の中に時々、力織機の音がする町です。昔はここにも大きな町家が建ってはったんやろなあ~というような大きな駐車場。銅葺きの屋根が鈍く光っています。

新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん
新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん

正面から。

新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん
新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん

秋の花々が美しい。

新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん
新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん

おや。お数珠が保管されているのか、落し物が置いてあるのか・・・。私の推測では、毎朝お掃除をしはる方がここに置いておいて、ちょっと使うんじゃないかしら。

新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん
新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん
新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん
新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん

金襴は蜀甲華紋。たぶん朱子地(この場合は朱子色ということ)です。そして地組織は綾地だと思います。経年劣化からなのか、ものすごく荒く見えますね。

新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん
新町寺之内上ル道正町のお地蔵さん

ではそろそろ御機嫌よう。
どうしましょう!気がついてしまいました。年末まであと34日しかないそうです。びっくり~。
そして今日はブルース・リーの誕生日ですって!子供の頃男子達がよく真似してはりましたね。未だにブルース・リーの人気は衰えていないのがすごいと思います。1940年生まれだそうです。戦前なんですか・・・。

香港のブルース・リーの銅像
香港のブルース・リーの銅像

すごい筋肉!胴体だけ見たら進撃の巨人と間違えちゃいそうです。

今日の織屋の賄いは、鰤の照り焼き。小蕉の素揚を添えました。大根葉と蕉の葉のゴマ油炒め。

鰤の照り焼き。小蕉の素揚。大根葉と蕉の葉のゴマ油炒め
鰤の照り焼き。小蕉の素揚。大根葉と蕉の葉のゴマ油炒め

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