猪熊一条上る お地蔵さん~西陣織屋の金襴探し

こんにちは。

我が社は金襴織屋なのですが、金襴ってマイナーです。そこで自らの疑問、金襴は一体どういうところに使われているのか?という興味からお寺やお坊さんを探してきたのですが、金襴はお寺の宝物になるものなので普段着では中々使われていません。ああ、金襴織屋の紺屋の白袴か。うちの社内以外で金襴を見ることは適わないのだろうか・・・。
そうだ!お地蔵さんのおべべとして金襴が使われている事があるじゃないか!
ということで私のお地蔵さんウォッチングが始まりました。

始めてみますとお地蔵さんの個性豊かな事。
京都市内には、道のいたるところにお地蔵さんがいはります。町内町内で可愛がられているお地蔵さんがたくさんいはるのです。素晴らしい事ですね。
そのようなお地蔵さんを可能な限り訪ね歩き、私のブログにまとめてあります。
よろしかったらご覧ください。https://okamotoorimono.com/category/jizo/

今日は猪熊通りという通をクローズアップ。
猪熊通は南北の通です。堀川の1、2本西。
所々、消えたりしながら御薗橋から南区の十条通まで通っています。猪熊と言うかなり無骨ともいえる御名前の由来・・・平安京では猪隈小路と呼ばれました。この通りに住んでいた平安時代末期の関白、近衛基実(このえもとざね)が「猪隈殿」と呼ばれていたのでそのように呼ばれる道になったようです。実際、1991年度の発掘調査において平安時代前期にはまだこの道が築造されていなかったという結果が出ています。(しかし、何故にそんな事が解るのでしょうか。以前「平安京 左京北辺三坊六町 内膳町」の発掘調査の結果見学を観にいった時にも不思議に思いました。たくましい想像力が必要ですね。)
京都は古い町なので道の名前、町の名前にも色々な歴史があってとても面白いです。

そして一条通。一条通はとても有名な通だと思います。荒又宏好きには格別。
陰陽師である安倍晴明(あべのせいめい)さんで有名。安倍晴明さんが式神を飼っていたという一条橋の通る道です。今でも安倍晴明さんのゆかりの神社、晴明神社があります。最近は盛り上がっていますがちょっと前までひなびた神社で近隣の人は姓名さんだと思ってはった方も多いそう。陰陽師だけに生まれた子供の御名前をつけるの得意な神社さんで西陣近辺は晴明神社さんに御名前を考えていただいた方も多いそうです。子供の名前をつけるときってほんまに張り切りますものね。読み方、響き、画数、すべて好いものを付けてあげたいと思うのは親心。

そんな猪熊一条上るにあるお地蔵さん。

猪熊一条上る お地蔵さん
猪熊一条上る お地蔵さん

またまた守りが堅固です。中見えないかしら。でも・・・よく見たら金襴発見です。金襴屋としては嬉しい限り。うちの仕事だけじゃないんです。西陣全体が盛り上がらないとうちも仕事が出来なくなるかもしれないと言う狭い地域だけに西陣の物が掛かっていると嬉しい。

戸帳は朱地の唐草。

猪熊一条上る お地蔵さん
猪熊一条上る お地蔵さん

お地蔵さんのおべべは↓菊桐唐草。

猪熊一条上る お地蔵さん
猪熊一条上る お地蔵さん

↓はメガネ蜀甲。

猪熊一条上る お地蔵さん
猪熊一条上る お地蔵さん
猪熊一条上る お地蔵さん
猪熊一条上る お地蔵さん
猪熊一条上る お地蔵さん
猪熊一条上る お地蔵さん

お地蔵さんのお顔も穏やかです。二人でほっこり中です。

猪熊一条上る お地蔵さん
猪熊一条上る お地蔵さん

戸帳の形がちょっと変わっています。工夫されていますね。

金襴が見れて嬉しい私。

関連記事