こんにちは。
京都西陣の金襴織屋、岡本織物です。あまりの時の速さにびっくりしてます。
私は連日、金襴に囲まれて仕事をしています。
しかし残念な事に織屋なので製品になったものには縁がありません。織られた物は仕立てられてそのまま神社仏閣に納められる事が多数です。
うちの布ってどんな所で使われているんやろ?そんな疑問から金襴を探す旅に・・・というのは極端ですが、金襴を探しています。
我が社の金襴は神社仏閣の打敷、戸帳、下掛け、お坊さんのお袈裟になったりします。なので見にいくべき場所はお寺。しかし、金襴の荘厳はそのお寺の「宝物」ですので滅多に掛かっていません。特にうちとこの金襴は桐箱に納められてしまっている率が高いのでよほどの仏事でないと見られない。ということは仏事には一般人が堂々と入っていける機会も少なく、中々我が社の金襴を見ることは叶わないわけです。OMG!
そうだ!京都に沢山いはるお地蔵様に金襴のおべべがかかってる!
ということでお地蔵さんウォッチも始めました。
するとお地蔵さんの個性豊かっぷりに、私、射抜かれましてん。
今日の金襴探しの旅は堀川商店街の北側。昔は堀川京極とも言われた賑わった過去を持つ界隈です。
京都の南北を走る幹線道路、堀川通り。平安京時代には堀川小路と呼ばれていました。堀川と呼ばれるとおり、運河が走っています。小川通りに流れていた「小川」が一条通の「一条戻り橋」で堀川に合流。昔は友禅に使われたり人が流されてしまうほどの流量だっという話を祖父母から聞きましたが、ちょっと前までは、たんなる溝でした。1956年に暗渠化されてから今出川御池の辺りまではほんまにつまらない溝だったんです。堀川再生の話が持ち上がり、2009年にせせらぎの流れる綺麗な遊歩道に変身。今出川を下がったあたりでは「堀川に蛍を呼ぼう『ほたるプロジェクト』」も始まり、良い川へと変身しています。
堀川商店街は堀川団地に併設されている商店街。堀川団地とは・・・戦後間もない頃に建った公団住宅です。店舗付の集合住宅です。1階がお店、2~3階部分が住居になっています。一階をお店にした団地では日本で最初につくられたそうです。
この当時の話を祖母に聞いたことがあります。
堀川通りは昔家の密集する地帯だったのですが戦争があったため防火地帯を作る為にも今の道になっている部分の住宅を強制疎開させて、人力で家をなぎ倒して道にしたとか。おお。今の世の中では信じられません。むちゃくちゃやな。
その後、住宅が足りなくなった為団地を建設。戦後5年のまだ貧しい時期、水洗トイレと都市ガスを完備してたので近代的ということで憧れの住居だったみたいです。建設してから30年、1980年には老朽化が目立って来てしまい1990年には新規入居は出来なくなってしまいました。そうなるとどんどん空洞化ですね。人も減るし、するとお店も減っていく。今ではシャッターの下りたお店が多くて少々寂しいです。
たぶん1950年代の話だと思うのですが、堀川通りは広いのに車通りも少なく、父やその友達は堀川通りで野球をしていたと言う話をしてました。今の堀川通りでは信じられません!轢かれてしまいます。
元に戻りましょう。
今日のお地蔵さんはそんな堀川商店街の一番北側にいはりました。
どっしりとしたお社です。
こちらの町名は奈良物町。平安時代に奈良からの人が多く入ってきはったんでしょうか。奈良からの人達が奈良の物を持ってきて商ってはったんやろな、と単なる推測ですが。
お地蔵さんの髪型にちょっとシルクロードを感じます。
さて、岡本織物、最近匂い袋を作っています。
日本には古来から香りの文化がありました。源氏物語などを読んでも「香を焚き染める」という場面が沢山出てきます。香木をたいて香りを鑑賞する香道が盛んでした。
ほのかな香りが生活にあるって良いです。
我が社の近くに京都御苑の西にある創業江戸寛政年間という、老舗中の老舗の香木店があります。お店の前を通ると良い香り。以前から寄せてもらっていたのですが、こちらの匂い袋と我が社の金襴地で素敵な匂い袋が出来るんではないだろうか?と思っていました。
我が社の膳正絹本金引箔の美しい金襴とこちらの老舗様の香木の匂い袋が出来上がりました。
どうぞ、ご覧ください。
美しい布に包まれた香りを生活に~匂い袋販売
ご興味がある方は是非、ご連絡くださいませ。
オリジナルで名入れも可能です