こんにちは。京都は西陣の片隅で毎日金襴を織ってる岡本織物です。西陣織は素晴らしい!声を大きく叫びたい。もっと日常使いになったらええのになあ。
さて、日々、西陣の片隅から神社仏閣、お地蔵さん情報をお届けしています。我が、西陣織の金襴は一体どういうところで使われているのだろう?と神社仏閣、お地蔵さんの懸想品を探しているうちに、その個性豊かッぷりに心惹かれてしまい金襴地が掛かってなくてもまるでライフワークのように書き綴るようになりました。
今日は渋谷は円山町。すぐ隣は閑静な松涛なのにここは夜遊びの町です。昔は芸妓置屋、待合茶屋なども沢山あり料亭の立ち並ぶ花街だったようですが今では、一言で言えば猥雑な街です。昨日一昨日のクリスマス&クリスマスイブはサンタに扮装した方々が繰り出していたことでしょう。夜遊びに適したクラブ、レストラン、バーなども沢山ありますが、怪しげなお店も沢山あります・・・。今日ご紹介する「千代田稲荷」はそのような場所に鎮座まします。
長禄元年(1457)の太田道灌による江戸城築城の時に伏見稲荷を守護神として勧請しはりました。徳川家康の入城後に江戸城内の紅葉山に移します。慶長7年(1602)に渋谷宮益坂に移動、江戸城(千代田)より移動してきたことから千代田稲荷という名称になったそうです。関東大震災で被災して渋谷百軒店に移動して再建されたそうです。更にその後戦災で焼失、近くに境内を移して梨本宮家の邸内社を譲り受け改装して新社殿とし昭和二十七年に円山町で完成。
神社内から外を観察。さすが神社。結界が張られているようで先ほどまで感じていた不穏な雰囲気(すみません。ここら辺をぶらぶら歩いていると昼間だと言うのに不穏な空気を感じまくってしまって・・・。西陣に住んで16年。夜の街に出ることも滅多にないのでこういう雰囲気に慣れてなくて・・・)から守られたような気がします。
円山町でも鎮守の森のような雰囲気があるんです。
いいですね。しっとりと落ち着いています。ああ、外の喧騒が嘘のようです。
祭神は宇迦之御魂命(ウカノミタマ)で穀物の神様です。彼女は女神だと言われていて伏見稲荷大社の主祭神で、お稲荷さんとして日本中で大人気☆お稲荷さんの社紋は「抱き稲」です。瑞穂の国としては「稲」無しでは話が進みません。稲の豊作は全ての富へと通じるので商売の神様としても各地で信仰が篤いです。
畳敷き。ご神体と思われる鏡も飾られています。あの鏡は「天照大神」なんですよね。(祭神は宇迦之御魂命(ウカノミタマ)ですが・・・)鏡は真実を映します。この鏡は円山町の推移をどのように映してきたのでしょうか。鏡が語ってくれるなら是非お聞きしてみたいものです。
長禄元年(1457)太田道灌江戸城築城の時守護神として伏見稲荷を勧請したのを創始とする。德川家康公入城後、今の宮城紅葉山に遷座し、慶長七年城地拡張の時、渋谷宮益坂に移し、江戸城の別名を取りて千代田稲荷と称し、附近住民の信仰篤くことに和宮御降嫁のさいに奇瑞を現わし、途中を守護したので着城後代参あり、鳥居等多くの寄進あり「江戸名所図会」にも載る。
大正十二年関東大震災の年に渋谷百軒店に地を相して神城を定め再度御遷座した。
戦災により社殿その他建造物を焼失したので役員総代等力を協して復興に尽力し、いち早く仮殿を建て維持運営に勤む。その後すぐ近くに適地を求めて境内地を移し、元梨本宮家の邸内社を譲り受け改装して新社殿とし、社務所・水舎・鳥居。灯籠・神輿庫等を建設し従来より当地の守神と仰ぐ中川稲荷神社を末社として奉斎。昭和二十七年これら全施設の完成を達成し盛大なる奉祝祭を執行する。稲荷の神はもともと農業の神であり、米一粒が何倍にも殖えるように広く殖産の神としてあがめられ商売繁昌の福の神はもとより諸産業の守護神としてあらゆる職業の人に信仰される。
と境内に神社の由来が掲示されています。
こちらは、末社の中川稲荷神社。
日本人ってこういう朱塗りの鳥居を見たら血が沸くと思うんです。朱の鳥居にはためく朱の幟。さわさわと動く白の切り紙。
夜の商売に疲れた方々がちょっと寄って、商売繁盛を祈りつつ、ほっと一息ついてくれたらいいなあなんて思いながら円山町を後にしました。
さ、金襴と言えば・・・御簾にちょっと表装地が使われていましたね。