比叡山お膝元 坂本 若き日の最澄~西陣金襴織屋のお地蔵さん見物

連日お暑うございます。

トロピカルストームが北西太平洋に進んで台風12号に変身しましたが、その台風12号も26日に佐世保市付近に上陸後、対馬海峡で熱帯低気圧になったという情報を知りました。

世の中はものすごい勢いでニュースが行きかい、日々動いていますが私は連日あまり動かない者達についてブログを更新中です。

今日は石&石像について。

最澄さんってご存知ですか?伝教大師最澄。平安時代に古市郷(ふるちごう)に生まれたお人。古市郷は今の坂本近辺。近江の国には朝鮮や中国の帰化人が多く、すぐれた技術を持った一族が多かったようです。最澄さんも帰化人と推測されているようです。

最澄さんとは日本の天台宗の開祖。

天台宗とは大乗仏教の宗派のひとつ。妙法蓮華経を基本の仏典としています。

中国で生まれた天台宗を唐に留学(遣唐使)した最澄さん(この時だいたい30歳後半です)が学んで日本に持ち帰りました。平安京の時代です。当時の天皇であった桓武天皇は、僧侶の政治の台頭を嫌がりましたがそれでもやはり僧侶はその当時の最強知能階級である僧侶の力を借りながらも良い政治をしなければと思った方です。京都市内に東寺・西寺を作ったのもその現われのようです。桓武天皇は神や仏の力を借りて、国を守ろうという考えをもっていました。(それ以前にも鑑真和上が来日して天台宗関連の経典などを持ち込んではるようです)。

唐から帰国した最澄さんは比叡山に戻って(地元から近い山ですね)延暦寺を開山。優秀な弟子達を数多く輩出した、勉強も出来て、長旅にも耐えられる体力を持ち、人に教えるのも上手という素晴らしい人です。

最澄さんが渡唐するまで日本に広まっていた仏教の考えはインドのカースト制度のように人間の身分によって仏になれるものとなれないものが分かれるという考えが主流だったのですが(南都六宗で奈良の東福寺とかです)天台宗では人は誰でも仏になれる、人間どころかこの世の中の全ての生き物が仏になれるという教えだったそうです。宗教が一段と民衆に近づきましたね。

同時代の人にスーパーカリスマ弘法大師空海がいはります。しかし最後は交流が断絶してしまうらしい・・・。お互い断腸の思いだった事でしょう。

比叡山お膝元 坂本 穴太衆石積 最澄像
比叡山お膝元 坂本 穴太衆石積 最澄像

ちなみに、最澄さんはお酒を飲む人が大嫌いだそうです。

上の画像の「若き日の最澄像」を拝見してもきりりとして自分に律した規律の細やかさが目に浮かびます。

さてさて、同じ敷地内に面白い石積みがありました。

坂本市内は石積み塀の美しい町並みがあります。安土桃山時代に活躍した「穴太衆(あのうしゅう」という人々が美しい石積みを編み出したようです。石の形を整えることなく、大まかに自然のままの姿で上手に積んでいく技術。主に下記の3種類の技法を駆使するそうです。

  • 野面──野ざらしの自然石、山から切りしたままの野面石を加工しないで積む積み方。
  • 打込みはぎ──ゲンノウ等で石の角を叩き落とし、石と石の合 端を合わせる積み方で関ヶ原戦役以後の石垣に多く使われている。
  • 切込みはぎ──ノミやタガネで石を削り、石と石の目地に隙間を作らない積み方。

石積みには全く詳しくありませんが石が積んである状態は大好きです。大きな石、小さな石、色々混じっているのを見ると「よう積まはったなあ」とわくわくします。

京都市内に巨石を集めた面白い公園があるんですよ。

けいはんな記念公園に石好きにはたまらない巨石たちが沢山あります。どうぞ、興味があったら行ってみてください。

比叡山お膝元 坂本 穴太衆石積
比叡山お膝元 坂本 穴太衆石積
比叡山お膝元 坂本 穴太衆石積
比叡山お膝元 坂本 穴太衆石積

この石垣は・・・野面?

坂本の比叡山口へ向かう道は美しい石垣が巡らされていて非常に趣深いところです。どうぞ、一度ご覧になりに行って下さい。

今日の織屋の賄いは、蛸とイカの炒めたん。いつもより遅めの11時20分に賀茂の振り売りが来てえらいはらはらしました。野菜を買えて嬉しい。

蛸とイカの炒めたん
蛸とイカの炒めたん

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