京都西陣で金襴織屋をしております岡本織物です。
今年は「どうしたんや?」と思うくらい蒸し暑い日々が続いたりスコールのような雨が続いたりえらい不安定な気候ばかりでしたが、昨日の日曜日はすごく気持ちのよい一日でした。秋晴れ。ほんまに秋が来るようです。今年は秋なんか来ないかと思っていました。
そんな秋晴れ開けの月曜日。今日は中秋の名月です。スーパームーン。良い月が見えますように☆
ライフワークとなりつつある「町の中での金襴探し」が金襴に中々出会えない為に「お地蔵さん見物」がライフワークになってきています。いや~、非常に興味深い。
今日は祇園のお地蔵さん。
京都の祇園と言えばかなり有名な地名です。祇園=舞妓芸妓を思い浮かべる方も多いのでは?昼に祇園を歩くと白塗りの偽の舞妓さんが(昼に白塗りの方は「体験舞妓」さんがほとんどです。昼の舞妓さんは薄化粧)、夕方には本物の舞妓さんを見る事が出来ます。舞妓さんが結構早いスピードで歩いてはってびっくりする事も多々あります。
そんな町名もまさに「祇園町」を夕暮れ時にぶらぶら歩いていてお地蔵さん発見。崇徳天皇の御廟前にいはりました。
崇徳天皇とは・・・?お耳にしたことありませんか?私は神社仏閣についてもブログで書いてるのでわりとお名前を拝見します。崇徳天皇、その名は祟り神として有名。
保元の乱という今から約860年前の戦の時の事。負けてしまった崇徳天皇。敗者として四国の讃岐に島流しの刑にあってしまいました。(と言っても、たぶんお供も沢山ついていく贅沢な島流しだったのではと私は思うのですが)、京都に帰りたくて帰りたくて朝廷へもその旨の運動をします。しかし、帰ることかなわず、46歳のときに怒り心頭に発したまま崩御してしまいます。
その頃、京の都では異変相次ぎ水害、火災、と災厄が続いていました。そこで、崇徳天皇の怨念ではないかと言う事で御影堂や粟田宮等を立てて慰霊しますが、それでも災害が続きます。その後色々あり、崇徳天皇御廟が建てられ、六波羅蜜寺の一院が管理をしたりしていたようです。
今現在は祇園の甲部歌舞練場の裏側にあるこの崇徳天皇御廟としてあります。
そして今は上京区の白峯神宮が奉仕して「崇徳天皇御影」が重要文化財として残っているそうです。毎月21日のお祭日には白峯神宮から神職が来て、祇園の女将さん等も一緒に御廟祭がなされているそうです。
人間と言うのは勝手なものですね。後ろめたい気持ちがあるから「しまった!やっぱりあれをしたから祟られてしまった!!」と思うんでしょうね。後ろめたくなかったら思わないもの~。
なんともアンバランスな位置関係の祠です。なぜ?なぜすべてを真ん中に設置しないのか?
でも祠の飾り彫りは可愛い。象さんと獅子。
源氏車だと思うんですが。源氏車もお地蔵さんに使われている事が多いんです。何故かと言うと、車輪は車(牛車)。昔は車は貴人しか乗れませんでした。なので車の定紋は貴人に使われる事が多い、という私の推測。ご教授いただきました。輪宝ですって!
南京錠でガードもがっちり。中のお地蔵さんのおべべはレイヤード。かなりの重ね着です。
カメラ撮影の可能な位置からはこの角度が精一杯。どんなお地蔵さんなのか全貌はわからずじまいでした。
崇徳天皇御廟との位置関係はこんな感じで建っています。