3月31日。京都は西陣の金襴織屋の岡本織物のブログへどうぞおいでやす。
我が社は京都に居を構える金襴織屋なのですが、金襴は一体どういうところに使われているのか?という興味からお寺やお坊さんを探しています。金襴ってマイナーですよね。金襴はお寺の宝物になるものなので普段は中々使われていません。ああ、金襴織屋の紺屋の白袴です。うちの社内以外で金襴を見ることは適わないのだろうか・・・。しかし、社内には仕立てられた金襴製品はあんまり無いのです。布の状態ばかり。仕立てられたものを見たい!
そうだ!お地蔵さんのおべべとして金襴が使われている事があるじゃないか!
ということで私のお地蔵さんウォッチングが始まりました。
始めてみますとお地蔵さんの個性豊かな事。
京都市内には、道のいたるところにお地蔵さんがいはります。町内町内で可愛がられているお地蔵さんがたくさんいはるのです。素晴らしい事ですね。
そのようなお地蔵さんを可能な限り訪ね歩き、私のブログにまとめてあります。
神社仏閣がテーマ→https://okamotoorimono.com/category/templeshrine/
道々のお地蔵さんがテーマ→https://okamotoorimono.com/category/jizo/
今日はお地蔵さん!
先斗町をぶらぶら歩いていました。ん?路地好きのアンテナがピクッと。
お地蔵さんの香りがします。
いはりました。「臼大明神」。「ウスの路地」と呼ばれている路地。
↑の画像の右下に注目してください。↓大きくしてみました。
何故か木の蓋が閉められています。なんとこの蓋は夜になると開けられるのです。理由はもう少し下に書いています。
井上頼寿著『京都民俗志』によると、「大津紺屋関に棲んでいた八九郎狸が住み所を失って此処の臼の内に移った。ご託宣によって一度に祠を営まず、漸次に築いて行くのであると云ふ。此の神は願を一つだけ聞いて呉れると伝へられてゐる。此の神は徳川時代から同位置にあった。(岡本橋仙氏談)」
上の方の画像の木の蓋の理由はこれです。大津の家を失ってこの臼に住み着いた八九朗狸が夜な夜な夜遊び出来るようにと近所の方が夜になると蓋を開けるそうです。なんて狸思いなんでしょう。息子の夜遊びを歓迎している親御さんの親心?
猪熊 兼繁さんという京大名教授によれば
「天正年代のころ,この近くにあった天主教会が、キリシタン禁圧で消え、その後デウスと臼をひっかけて信徒がひそかに、おがんでいたものではないか」
という事です。関西にはキリスト教信者さんが多いと思います。京都にも沢山の教会があります。キリシタン弾圧については詳しくないですが、色々と大変な事があったんだなあ。まさか飲みに出かけるときの先斗町でそんな事に出会わすとは思いもよらない出会いになんともいえない感情が沸き上げてきました。
「臼大明神」と書かれた石と、その下に「目なしの下臼」が祀ってあります。「目なしの下臼」というのは普通の石臼(この場合は餅つきに使う木臼ではなく、石臼)には細かく挽いたものを通す為の溝があるのですが、その溝のないつるつるした臼の事です。つるつるした臼はより細かく挽けるのでしょうか・・・?石臼はつかった事ないしなあ。全然解りません。
菱屋募兵衛、清水やす、清水八重さんの3人のご寄進でこの祠が作られたようです。
大正15年!とてもそうとは思えない綺麗さでした。
これから木屋町は桜並木も綺麗に御化粧をしてそぞろ歩きも増える時期だと思います。すぐ隣の先斗町を通らはったときには色々な思いのこもった「臼大明神」さんを一目ご覧になっていってください。どうぞ、お手を合わすのもお忘れなく。