こんにちは。
京都西陣で金襴を織っています岡本織物です。連休明けでぼけそうです。京都は連休は良いお天気でしたが連休明けは一転、雨模様です。
連休ボケを克服しつつ、今日も金襴にたずさわろうと思います。
金襴織屋なのにお地蔵さん等の記事ばかりでは?とお思いの方もいらっしゃると思います。
金襴は基本的に神社仏閣の法要等の特別なときに飾られる布地です。なので神社仏閣に行けば実際に使われている金襴地を見れる!と思うのですが良い金襴は桐箱に入れられてしまわれてるんです。お寺などの普段使いの金襴も見つけたら御報告をしていますが市井で普段使いされている金襴地を見つけるためにお地蔵さんや神社仏閣を訪ねて歩いています。
そしてお地蔵さんやお社も個性たっぷりで面白いのです。
今日のお社は、、、下京区間之町通松原上る稲荷町の花咲稲荷神社です。
花咲稲荷という名前にぐっと来ます。どのようないわれがあるのでしょうか。
こちらに江戸時代初期に住んではった俳人・歌人である松永貞徳の隠居した後の屋敷内に祀られていた稲荷神です。広いお屋敷があったんでしょうね。余裕の在る方々は自分の別荘や屋敷に「銘」というか名前をつけることがありますね。風流やなあ。それにもれなく松永貞徳さんも「松永貞徳花咲亭」と屋号をつけました。それで今でも花咲稲荷社と呼ばれて地域の人々に信仰されています。
松永さんは五十数人に師事したと言われ連歌、和歌、歌学に精通されていました。若い頃には豊臣秀吉の右筆となったそうです。20歳で右筆なんて素晴らしいですね。慶長2年(1597年)に朝廷から「花咲翁」の称を賜りったそうです。でも慶長2年と言えば松永さんはまだ26歳なんですけれど・・・。
こちらの花咲稲荷神社の御祭神は宇賀御魂神(ウカノミタマ)、素戔男尊(スサノオノミコト)、神大市比売(カムオオイチヒメ)、大己貴神(オオアナムチノカミ)、猿田比古神(サルタヒコノカミ)の五柱。現在は京都国立博物館に安置されていますが古いお社の時には五体の御神像が祀られていました。
わりと新築されたばかりですね。と思って調べましたらちょっと前まではもう少し広い境内でお社も古かったようなのですが・・・昨今の色々な事情で境内を縮小してマンションを建てはったようですね。
上の井戸は「災害時協力」の井戸です。電動ポンプを使用してはると思うけれど夜も湧いているのかしら。
うん。双頭の竜の錠前が素敵。
踏み石が可愛い。
下の画像はお隣のお地蔵さん。
文字が生き生きしています。「地蔵尊」
稲荷三軒町の子供中。という意味は稲荷さんの近隣の町内三軒の子供会の奉納。
以前のお社が大正9年建立なのですね。
「松永貞徳花咲亭跡」
観光客の方々は中々通らない場所でしょうか。松原上ル 烏丸通のちょっと東です。
西陣の西陣織屋で金襴を日々織っています岡本織物、身近に金襴製品を、という思いで「テーブルランナー」を作りました。どうぞご覧下さい。
クラッチバッグ等も作っております。弊社の金襴地をこのように使えます。
素敵な香りと本金のきらめきを胸元や袂、ポケットに潜ませてと言う思いで作りました。匂い袋でございます。
今日の賄いは、さんまのフライ。一人2尾づつの予定。多いでしょうか?青梗菜の炒めたん。大根の漬物等々でした。実山椒多めで塩辛漬けました。