京都で西陣織を織っている、金襴屋岡本織物です。東京に来ても金襴を探して彷徨っています。金襴のありそうな場所=神社仏閣をみつけたらストップ!
前回の熊野神社から甲州街道に出ようとしてどうせやったらちょっと散歩しようと都庁を抜けて歩いていくと、あら、なんか懐かしい白いタイルのホテルが見えて来ました。
京都の西陣から久しぶりに一歩踏み出し新宿に行ったときの話です。それでも因果な事に金襴を探して回ってしまう私。
そうやそうや、ここのホテルを抜けて甲州街道に出よう!と思ったら、赤い幟がはためく祠がありました。また、なんとも私の心をそそります。
1986.11.21(S61) 建之
足の神様だそうです。
韋駄天には、釈尊入滅の直後に捷疾鬼(しようしつき)という鬼が、お釈迦様の舎利を奪って逃走したので足の速い韋駄天がすぐに追いかけて取り戻したという説があります。韋駄天は、仏陀に仕えて、方々を走り回って食料を調達する役目も担っていたそう。だから足腰が丈夫という事で足の神様なのでしょう。
ご本尊は江戸時代中期の作とされています。
上州館林の城主秋元但馬守礼朝公の守護神とし同公の下屋敷である現在の地新宿区角筈に遷座され広く地元の信仰を集めていましたが、大東亜戦争の空襲により焼失破壊されました。
現在の板碑は昭和三十年に仏画の大家である宮原柳僊画伯の揮毫により名工草野氏が仙台石に彫刻したものです。
堂宇は新宿が東京の新都心として発展し都庁も移転する次代を迎えんとした昭和六十一年に野村専太郎が新築し、韋駄天尊が永劫に当地の守護神として御加護賜わらんことを祈念し建立されました。
こちらは蛯子稲荷大明神(うばこいなりだいみょうじん)です。調べてみたのですが、何故に蛯子なのかは解りませんでした。
神様系に金襴は無くてもやはり稲穂は大事なアイテムです。稲ってすごい。お米も美味しいし、稲藁は丈夫な綱にもなるし。
韋駄天は、韋陀、韋天将軍とも言われて増長天の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める天部の仏神。
伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、布袋尊ととも山門や本堂前によく祀られています。
日本の禅宗では厨房や僧坊を守る護法神として祀られています。
また小児の病魔を除く神ともいわれています。
密教の曼荼羅では護世二十天の一尊として西方位に配されます。
韋駄天尊のご真言は オン イダテイタ モコテイタ ソワカ
一般的には道教の韋将軍信仰と習合した影響で、唐風の甲冑をまとって剣を持つ若い武将の姿で描かれることが多いそうですが元来はスカンダというヒンドゥー教の軍神
に由来するため、六面十二臂(臂とは肩から手首までの部分。腕。六面十二臂とは6つの顔と12本の腕を備えるということ)の少年神で孔雀に乗っていることが多いです。
六面の由来は、大自在天シヴァの次男だけれど六人の乳母に育てられたため六面として表現されるといわれています。
祠の脇には、私財を投じて、この地の祠の建立や、稲足神社(東京都あきる野市)の遷座に尽力した野村専太郎(昭和期の実業家で大和小田急建設株式会社の元となるゼネコン野村組を創業した祖父初代野村専太郎の孫)ご夫妻の像があります。
奥様が何を祈ってはるのか・・・。
私は、家内安全無病息災を祈ってきました。
金襴を織っている西陣織の岡本織物 ほぼ毎日ブログを更新したいと思っています!