こんにちは。
京都西陣に社を構える金襴織屋の岡本織物です。金襴と言う織物を日々織っています。
主に、神社仏閣の荘厳に関するものを織っているのですが、自分達の布が製品になって使われている所をあまり見たことがありません。もちろん布地は毎日見ているんですけど。
いったい金襴はどのようなところで使われているのか?という疑問を抱いて、金襴を探してさまよっています。京都に沢山あるお地蔵さんにはおべべやミニ戸帳として使われています。そしてもちろんお寺には沢山あるはず(しかし金襴はお寺の宝物の為、法要など重要な時にしか使われてない事が多い・・・)普段着の金襴で結構。色々と探してみましょう。
というテーマでブログを書いていることが多いです。
神社仏閣がテーマ→https://okamotoorimono.com/category/templeshrine/
道々のお地蔵さんがテーマ→https://okamotoorimono.com/category/jizo/
最近では金襴がかかっていなくても神社仏閣&お地蔵さんが大変面白いのでブログで紹介させていただいています。
京都の中京区に「壬生」という地名があります。壬生は昔、湿地帯だったそうです。京野菜として有名な壬生菜(みぶな)の産地として有名でした。中世以降、壬生寺が建立されて周囲は門前町として栄えました。
下の画像は坊城通りから嵐電、京福電気鉄道の北側から壬生寺方面を見たところです。
線路を渡って綾小路を西に行きます。
こちらが有名な新撰組の屯所として有名な「前川邸」です。
立派な門です。
近藤勇の流派「天然理心流 試衛館」は現役です。東京と京都でお稽古してはります。「興味本位の見学はお断り」との事です。
こちらも新撰組の屯所として有名な「八木家」。まるで武家屋敷です。午前9時から午後5時まで見学可能です。
新撰組発祥の地跡の駒札です。
八木家の横にある和菓子屋さん。天正年間より当代まで代々血脈相続で15代の「京都 鶴屋」さんです。
立派な灯篭。
壬生寺。ゆうゆうたる門構えですね。壬生まで来ると高い建物が少ないので空が広いです。
学業成就の「一夜天神」菅原道真が大宰府に左遷される途中に壬生にあった親戚の家に立ち寄って夜の名残を惜しんだという伝説があるのです。それで「一夜天神」。
この中に入っていったら新撰組隊士のお墓、「壬生塚」があります。
弁天堂。創建は不詳。江戸時代中期にはすでに存在していたらしいです。線香立てには「弘化4年 1894年」の刻銘があります。現在の弁天堂は明治27年に再建されたものです。創建当初は壬生寺の西北の池の畔にありましたが戦後にこちらに移築されました。
弁財天の本尊は秘仏で清水寺の延命院から写された厨子入りの塑像で、弘法大師作と伝えられています。またもやカリスマ空海☆スーパーですね。
六角堂になっている「水掛地蔵」
水掛地蔵のご詠歌は
みずかけの こころでねがえ なにごとも おもわでむすべ かなうみほとけ
お水をかけると一つお願いがかなうそうです。
赤い提灯が綺麗です。
本殿。壬生寺は律宗大本山の寺院。本尊は地蔵菩薩です。開基は滋賀県大津の園城寺(三井寺)のお坊さん、快賢。中世になってから壬生寺を再興した円覚上人による融通念仏の「大念仏狂言」を伝える寺として有名です。
今でも「大念仏狂言=壬生狂言」はしてはります。壬生狂言←飛んだらいきなり狂言の音楽が鳴り響きますので御注意。
壬生寺千体仏塔
平成元年に壬生寺の創建1000年を記念して改築されました。
石仏は明治時代に京都の都市計画の際に市内各地から集められたお地蔵さん達。室町時代からの地蔵菩薩や阿弥陀如来、大日如来など3000体以上の石仏があり、この塔にはそのうちの1000体が安置されています。塔の形はミャンマーに数多く見られる「パコダ」を模しています。
壬生寺の境内にはまさに「ニッチ」なところにお地蔵さんが安置。塀の際。
こちらは北側の門。幼稚園などもあります。
こちらが有名な「壬生狂言」の舞台「大念佛堂」。私、新聞でしか拝見した事ないんですよね。一度実物を見てみたいわ。景気良くカワラケを割るらしいです。
ご詠歌 しゃくじょうの おとなりひびく みぶでらに ごうりきするは このほとけなり
ご本尊は、鎌倉時代の壬生寺再興時に、平政平の発願により新造された十一面観世音菩薩(鎌倉時代)。
閻魔様も居はります。こちらの菩薩様は・・・何菩薩かしら・・・?
壬生寺あたりは四条烏丸からも歩いていけますが、阪急で四条大宮で降りて行くのが一番行きやすいかと思います。壬生を通って島原などをぶらぶらしながら遠回りですが西本願寺を見学して京都駅に戻るのが一番良いかと。どうぞ、京都をお楽しみください。