こんにちは。
京都西陣金襴屋の岡本織物のブログを読んでくださる方々どうもありがとうございます。
西陣から少々東に行って南に下がったあたり。
烏丸上長者町で遺跡発掘現場の説明会があると言うことで「それは興味津々」とばかりに寄せてもらいました。
この地は平安時代は左京北辺三坊六町 内膳司の厨町(くりやまち)という所だったそうな。
厨町とは様々な役所の台所や仕事場で働く工人が住まいとする場所で、そのような人が沢山いはったというのが今現在の京都の世界の人たちから高く評価される伝統地場産業の発展に繋がってきたのではないかと私は思っています。我が西陣織も歴代の天皇家やその時々の権力者に翻弄されながらもこの「京都」という類稀な立地条件の上で発展してきたんですね。
平安中期には受領階級(平安時代以降の国司で,現地に赴任した者の中の最高責任者を指す称)の屋敷になっていたそう。で、ここらへんには摂関家の前安芸守藤原質良(さきのあきのかみふじわらのすけよし)の屋敷があったそう。藤原氏。
この地の北側でホテルや保育園を建設する時の発掘調査のときにも平安から近世にいたる遺構遺物が発見されています。
昔から人が住んでいる町だったので平安の遺跡の上に色々な時代の遺跡が重なっています。今でしたらすべて撤去してから新たに建築すると思いますが過去ではざざっとなぎ倒した後に上に盛り土をしたりして上に重ねて行く方式だったようです。
遺跡発掘現場(豊臣秀吉が作った聚楽第(じゅらくだい)に近い。)においても色々な時代の遺物が出てきたのですが最終的な一番下の層には9世紀前半(平安時代初期)の運河とみられる溝跡が見つかったそうなのです。下の写真の青いテープに沿ったあたりがその運河の跡。
なぜ運河と判るのかという質問に教育委員会の方が「川底が平らで人工的な造りなのと土の感じでわかります。」と遺跡発掘には経験が必要という返答をなさっていたのが印象的。
運河は幅5~6メートル、深さ50~80センチ、長さ20メートル。材木などを運ぶ為の運河だったそうですが、そんなに浅くて満載した船が浮かぶのかしら?
その運河を埋めた後に作られた大きな路(土御門(つちみかど)大路と呼ばれていて今現在もこの近くには土御門町と呼ばれる町内があります。)も見つかっていて、794年に遷都した平安京の中心部として数十年かけて造営されたことがわかるらしいです。
すごいですね。物言わぬ遺跡からそんなことが解るなんて。遺跡発掘には想像力が必要。
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展示してあった出土品。昔のすり鉢はかなり荒い筋目でした。
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織部なども出てきているのでこれは割りと新しい層からの出土でしょうか。
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こちらの瓦は桃山時代の太閤秀吉の五奉行の一人である前田玄以(げんい)の家紋である「橘(たちばな)紋様」の金箔(きんぱく)瓦。昔はぴっかぴかだったのでしょう。
この瓦はここら辺一帯の発掘現場では必ず目撃されているようなのでここら辺にお住みの方の足元にはこの瓦が眠っているんだろうなとロマンを感じます。
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ちょっと見えにくいですが貝殻が沢山見えました。昔のゴミ捨て場。
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丸い穴は柱の跡。なぜこんなに柱がランダムに密接しているのか?という質問には「穴は全て時代が違う。こうしてみると変な間隔だけれど柱としてはちゃんと等間隔に建っていたはず」という回答でした。
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遺跡を調査した後は埋め戻してこの上にマンションが建ちます。