銀世界稲荷神社から新宿中央公園を通って新宿十二社(じゅうにそう)の熊野神社へ向います。京都から金襴を探しに新宿に来ています(ほんまの目的は師匠の個展見物ですが)。
朝9時ごろだったせいか人影も少ない遊具の間を通り抜け(これがまた、楽しそうな遊具がいっぱい)ここらへんはマンションも多いし意外と子供も多いのかもしれません。)熊野神社へ向います。擬似の滝などもあります。そうそうここら辺は、昔は水の場だったんですよね。玉川上水から淀橋浄水場に上水が流れ込んでいたりと水には縁のある土地なはず。
無機質な高層ビルもケヤキの間から垣間見ると良い感じ。
街中ほど緑は必要ですね。しかし、それに付随して整備が大変になってきます。草木は繁茂して影が増えるし影が増えるとややこしい事も起きやすい。しかし影が増えないと鳥などの繁殖する場も減るわけで・・・バランスが難しい。新宿中央公園も青いビニールテントが結構ありました。
↓新宿公園側から熊野神社に到着しました。青空だと歩くの気持ちよいですね。一人で自分のペースでさっさと歩くってなんて素敵!いつもは子供が「おがあちゃ~ん~まって~~」と疲れただのお腹すいただの五月蝿いけれど。
池や池。何歳になっても池やら川だの水場に反応してしまいます。なんかいないやろか。
祠がありましたよ。昔「十二社の池」と呼ばれる灌漑用の池が大小あったそうなのですがそれをしのんだ池なのかな。現在のこの池の中にある祠には弁財天が祀られています。
弁天様をお祀りしたほこら。
鶴さんがはまってはります。↑
竜。
獅子に象。
池の畔には「こひづか」と刻まれた石碑が立っています。これは昭和16年7月に十二社池の小池の水質が悪化して、鯉が大量死した時に建立されたものだそうです。調べる前は「くびづか」って書いてあるのかもしれない・・・とドキドキしちゃっていました。
淀橋の橋のなごりがここにあります。
角筈胡桃下稲荷神社。
昔ここら辺は角筈村と呼ばれていたのでした。これは末社の角筈胡桃下稲荷神社です。
その水鉢がこちら。
新宿区指定有形文化財(工芸品)で文政3年(1820年)に奉納された水鉢。狂歌師、大田南畝((おおた なんぽ)勘定所幕吏として支配勘定にまでなった一方、趣味で狂歌集や洒落本などを著しました。唐衣橘洲(からころもきっしゅう)・朱楽菅江(あけらかんこう)と共に狂歌三大家と言われる。)の書による銘文があります。
延命施羅尼 二千一百萬遍読誦碑 と書いてあります。
百万塔陀羅尼かな・・・。百万塔 陀羅尼(ひゃくまんとう だらに)やったら鎮護国家と滅罪を祈願するために、100万の小塔に陀羅尼を納めて、仏教寺院に奉納された陀羅尼の事なんですが。これは石ですよね。誰かが2100万回読経しはった?すみません。解りませんでした。
金襴ありました。神社用はあっさりとしています。
清潔感たっぷりの高層ビルを背景に本殿というのも中々きれいなものですね。
ん?ものすごい数の御神輿が納められているじゃありませんか。すごい!
中は良く見えませんがこの建物が御神輿の神輿蔵です。一体何基はいってるんやろ。私が中を覗いた所後ろも神輿で詰まっていました。すごいなあ。お祭りは迫力あるんでしょうね。
神社の宮神輿(大神輿)と、熊野神社の氏子の組織である睦の町神輿(大人神輿と子供神輿)が保管されています.一之宮神輿は、昭和3年(1928)に十二社と淀橋の氏子により製作されたものです、二之宮神輿は平成9年(1997)に
御鎮座600年を記念して製作されました、両神輿とも三年に一度大祭に巡幸します。
担ぎ声は「おいさ、ちょいさ」だそうです。
平成24年 新宿・十二社熊野神社【一之宮・二之宮】神輿渡御=新宿駅西口
お祭り大好きです。
この石碑は新宿にあった火消しの屋号としての纏図だと思います。
いなせな男達が新宿の宿場町を闊歩していたのを想像してなんだか楽しくなったのでした。