こんにちは。
2月6日土曜日、いかがお過ごしでしょうか?
私は今日、布博 in 京都 vol.3に寄せてもらう予定です。今年はみやこメッセ!大きくなってます。金襴織屋として西陣織に携わっておりますが昔から布は大好き。
仕事に関係ある無いにしてもとてもわくわく。個人的にはSNSでちらりとみかけた氷室友里さんの布を拝見するのを楽しみにしております。二重折りになっていて上の布をちょきちょきと切ったら中から紋様が出てくるという面白い布。どうやって染めてるのかと思ったら織りですね。面白~い!
さてさて、そんな中今日の金襴織屋のブログは銀座8丁目の八官神社さん。
銀座のビル街、ソニー通りにひっそりとある小さな神社。銀座という土地の関係上、住人が少ないので氏子がほとんどおりません。そこで建てかえる時昭和57年に境内の一階に参拝所、ビルの最上階に本殿を設置、その間をパイプのような管で繋ぎ、参拝者の願い事を屋上の本殿に伝える現代風な作りにしたようです。しかしその苦肉の策もむなしく神社経営は上手くいかず、ビルの返済も上手くいかず・・・苦労苦労の神社で結局はご神体を芝大神宮へ合祀したそうです。
こちらは播磨の明石にある明石稲荷神社という神社を銀座へ持って来はったらしいです。武家方、町家の崇敬を集め、明治8年には村社になったらしいです。銀座八丁神社めぐりの一社です。
- 幸稲荷神社 (銀座1-5。並木通り1丁目)
- 銀座稲荷神社 (銀座2-6。銀座トレシャス。銀座ガス灯通り。)
- 龍光不動尊 (銀座3-6。松屋銀座屋上。)
- 朝日稲荷神社 (銀座3-8-10。大広朝日ビル一階に遥拝所。屋上に本殿。)
- 銀座出世地蔵尊 (銀座4-6。銀座三越9階。)
- 宝童稲荷神社 (銀座4-3。和光並木館裏。)
- あづま稲荷神社 (銀座5-9。あづま通り。)
- 靍護稲荷神社 (銀座6-10。銀座松坂屋屋上。)
- 成功稲荷神社 (銀座7-5。資生堂本社ビル。)
- 豊岩稲荷神社 (銀座7-8-14。銀座すずらん通り路地。)
- 八官神社 (銀座8-4。ソニー通り)
- 宝珠稲荷神社(銀座3丁目鎮座。)
倉稲魂命、加賀姫稲荷を祀ってはります。だけど一応芝大神宮へ合祀されているのですが現在は御分霊をお祀りする形で復活してはります。
東京名所図会による八官神社の由緒
穀豊稲荷神社
穀豊稲荷神社は八官町十二番地に鎮座あり。村社にして祭神は宇気毘賈神とす。同社の記録に、「當社祭神は舊名播州明石に於て明石稲荷と稱し鎮座有しを、京都大内家へ遷し奉り、其後當社初代の神主井上若狭、元禄年中當地へ奉迎して今の地に斎祭せられし由。古老の口碑に傳ふりと雖、傳記の焼失したるを以て、事跡詳ならず、其後寳永四年五月、井上若狭並町内信仰の者、町内鎮守に被定度旨、町奉行丹羽遠江守殿へ出願、御聞届相成候、其後明治八年五月廿九日村社出願、八月村社へ被定候。」とあり、享保は寳永の後なるに、地主屋敷の鎮守としたるはいかが、寛延板の總鹿子には穀豊稲荷、八官町、神主宇治川主税とせり。合殿に加賀毘賈神を祀れり。社記に、舊名主田中平四郎、先祖より代々守護致来候處、慶應四年五月當社に合祀すと。
本社間口二間奥行二間
幣殿同
拝殿同
社務所間口一間半奥行五間
境内間口に間半奥行十一間(二十六坪二合五夕)
同社に、正徳二年の神輿及同年氏子中より寄附したりといふ獅子頭を蔵せり。
神前の随身は明治十七年五月、石狐は同十六年五月の寄進にして、花崗岩の鳥居は同十五年三月、玉垣は同十六年修復する所たり。氏子は八官町一ヶ町にして百二十戸を有し、小祭連月六日、廿二日、大祭は五月廿一、二、三日の三日間とす。現任の社掌は須藤光建氏なり。(東京名所図会より)
警備の厳しそうな小さなドア。これはお賽銭用のドアでしょうか?
玉砂利が敷いてあるケースの中に建つ神社本殿。芝大神宮にそっくり。
神明造りです。一階にはぎんざ鮨政さんの店舗。美味しそう♡
興味深い看板ですが空きがあるのが気になります。やはり景気が良くならないと夜の街も元気にならず、夜の街が元気ないと昼の仕事も元気にならず・・・。がんばりましょう!
西陣の西陣織屋で金襴を日々織っています岡本織物、身近に金襴製品を、という思いで「テーブルランナー」を作りました。どうぞご覧下さい。
クラッチバッグ等も作っております。弊社の金襴地をこのように使えます。
素敵な香りと本金のきらめきを胸元や袂、ポケットに潜ませてと言う思いで作りました。匂い袋でございます。