こんにちは。
今日は弊社、岡本織物の氏神さんである「上御霊神社」のお祭りです。この神社は、崇道天皇、伊予親王、藤原夫人、観察使、橘大夫、文大夫、菅原道真、吉備内親王等の祟り神となってしまった方々を祀ってもいますが応仁の乱発端の地としても有名です。桓武天皇の時代、各地で疫病が流行したのですが、「これは・・・祟りじゃ」と言うことで「上御霊神社」「下御霊神社」の二社を祀ったんです。その御霊(みたま)を鎮めるための「御霊祭」が5月18日、今日なのです。下御霊さんも今日のはず。
上御霊神社は西陣の氏子も多く、京都の祭りは静かで雅だと言われていますが、中々熱い良いお祭りです。お神輿も三基、にぎにぎしくではりますし「ホイット~ホイット!」という掛け声と共にええお祭りでございます。
京都に今日、いらっしゃったら是非ご覧になっていってください。
今年のメインは今出川より北側のようですね・・・。
さて、お祭り気分で浮かれていますが、今日の「西陣 金襴織屋の神社仏閣見物」は奈良の日本で一番古いといわれている人工池、猿沢の池のほとりの「采女神社」でございます。
こちらの「采女」の伝説は「謡曲」にもなっています。
謡での「采女」はまず、ワキという脇役(だけどとても重要。お能は登場人物が少ないですから)が出てきて(旅のお坊さん役)
「是は諸国一見の 僧にて候。 我この程は 都に候いて。 洛陽の寺社残りなく 拝み廻りて候。又これより南都に参らばやと 思い候。」
とワキが話してから
頃は弥生の十日余り 花の都を旅立ちて まだ夜をこめて東雲の 影ともに我も都を下り月~云々 という謡が始まります。
内容をざっくり書かせていただくと
旅の僧が春日大社にやってきてお参りすると女が木を植えていました。不思議に思って理由を聞くと、その女は神様に捧げるための木を植えているのだと語ります。そしてその旅の僧を猿澤の池に案内してお経を読んでくれるように頼みました。僧がいったい誰の供養なのかと尋ねるとその女は「昔ある采女がこの池に身を投げてしまった」と言いました。そして私こそその女の幽霊だと名乗って池に消えてしまったそうです。 その夜旅の僧がそこで弔っていると采女の幽霊が再び現れて更なる供養を頼んで消え失えてしまった。
というお話です。
その「自ら出てきて自分の供養を頼んでいった」という悲しい采女を祀った神社がこちらの采女神社です。何故采女が身を投げたのかと言うと奈良時代に天皇の寵愛をうけた采女がいましたが、采女への天皇の関心が薄れたことを悲観して猿沢池に身を投げたそうです。失恋による心神耗弱の上の投身自殺。弱い!弱すぎる!男がどうした!采女と言う後宮での女官職を得ていた職業婦人だったのだから、失恋ごときで気弱にならずにしっかり勤め上げたら小金もためられて楽しい老後だったかもしれないのに!
第51代天皇であられる平城天皇(へいぜいてんのう)に采女への哀悼歌があります。
猿沢の 池もつらしな 我妹子が 玉藻かつかば 水もひなまし
柿本人麻呂も歌ってはります。
我妹子が 寝くたれ髪を 猿沢の 池の玉藻と 見るぞ悲しき
私は正面から写真を撮ってるのですが、何か変ですね?ひょっとして神社が後ろ向きじゃないですか?
この理由は正面はすぐに猿沢の池なのです。自分が身を投げてしまった悲しい池を見ることがないように配慮されて後ろ向きに供養されているのだそうです。
興福寺の放生会の為に作られた猿沢の池。美しい。向こうに見える興福寺の五重塔。
猿沢の池には七不思議があるそうですよ。
1:澄まず
2:濁らず
3:出ず(ここから出て行く川がない)
4:入らず(ここに入ってくる川もない)
5:蛙はわかず
6:藻は生えず
7:魚が七分に水三分(放生会の為の池なので毎年魚が放流されて増える一方なはずなのに魚であふれない。)
ちなみに外来種の駆除・シダレヤナギの保護・護岸点検などを行うためもあり2014年に18年ぶりに水を抜いたそうです。たまに水を抜いているそうなのであんまり怖いこともないですね。でも入ってくる川がないのにどうやって水を満たすのでしょうか・・・。
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今日の金襴織屋の賄いは、賀茂なすと豆腐の田楽、小松菜