芝の増上寺。そこは徳川家の菩提所として有名。
三縁山広度院増上寺(さんえんざん こうどいん ぞうじょうじ)と称されています。
空海(弘法大師)の弟子である宗叡(しゅうえい)が建立した光明寺が増上寺の前身だそうです。室町時代に真言宗から浄土宗に改宗した。この改宗ってすごいと思います。全然違う考え方になった感もあるのですがお寺では改宗ってたびたびあります。
なぜ徳川の菩提所になったのか?一説ですが徳川家康が江戸入府の時に増上寺の前を通りその折に増上寺のお坊さんと対面してその際に菩提寺にしようかいなとなったらしいです。その時は貝塚にあった増上寺、一反日比谷へ移り、その後江戸城の工事の際に、慶長3年(1598年)現在地の芝へ移されたそう。
江戸を開府した徳川家康に助言した天海。その天海が風水にのっとって江戸を造ったと言う話を昔読みました。風水では、江戸城(太田道灌により築城)の鬼門である上野に寛永寺を、裏鬼門の芝の抑えに増上寺を移転させたという話。その他、永田町の日枝神社、神田明神共に鬼門除けだという話を聞いたことがあります。
風水都市とか面白いです。京都の風水もかなり堅固です。荒俣宏氏のファンなのでよう読みました。
さて、雨の増上寺。地下鉄の大門駅を織りて、増上寺へと向かいました。
重要文化財の三解脱門(さんげだつもん)が迎えてくれます。この門をくぐると、
三毒:3つの煩悩
- 貪:(とん)別名を貪欲、我愛。物を必要以上に求める心。
- 瞋:(しん)瞋恚(しんに)。我(自分)に背くことに怒ってしまうような心。
- 癡:(ち、痴)。別名を愚癡(ぐち、愚痴)、我癡、また無明ともいう。 物の理にくらい心。
から解脱できるとされているのですが、私潜ったので解脱できると思います。
三解脱門から眺める本堂。バックに控える東京タワー。
こちらのお手水のある「水盤舎」は徳川家光公三男の霊廟にありましたが明治時代の廃仏毀釈、第二次世界大戦の空襲などを何とか逃れ今ここにあるのです。
鐘楼堂(しょうろうどう)
この鐘楼堂は戦後に再建。収められている大梵鐘は江戸三大名鐘の一つ、延宝元(1673)年に7回の鋳造を経て完成したそうです。東日本で最大級なんですって。現在でも朝と夕べの2回鐘を撞いてはるそう。春は桜が綺麗でしょうね。
本殿というか大殿(だいでん)という名称の建物。
大殿に登る階段の段数は二十五菩薩をあらわし、25の階段となっています。
参道から大殿前に至る階段は18段。阿弥陀仏の本願、第十八願。
三解脱門から大殿までは距離にして約48間あり阿弥陀仏の四十八願に掛けられています。
大殿野中。美しいです。私が入った寸前に朝のお勤めが終わってしまったようで拝見することが出来ず残念でした。
法然上人。
立派な太鼓。
善導大師
大殿の中でしばらく考え事をしておりますと朝のお勤めも終わったことで明かりが消されてしまいました。
増上寺の西向観音。こちらの観音様はこのちに増上寺が移転する前からすでにあったものだそうです。鎌倉時代に北条時頼が諸国視察に回っているときに、この地が霊所で、風雅な憩いの場だと言う事で街道に向けて石製の観音像を安置したとの事です。
子育て安産に霊験あらたかとされています。今でも子供の無事成長、健康を願ってお地蔵さんが奉納されています。
風車を持ったお地蔵さんが可愛らしいのです。江戸三十三観音観音第21番札所
このお堂の中に
千躰子育地蔵尊と呼ばれるお地蔵さんが沢山。
各々可愛らしいおべべを着てはります。服には名前が書いてあり、私は水子地蔵なのかと思ったのですが調べたら「子供の無事な成長、健康を願っての千躰地蔵」という事でそういうわけでもなさそう。実は、こちらをお参りしながら泣けて泣けて・・・。
観音様もいはります。雨に濡れてしっとりとしています。
この石塔の下に般若心経が一万巻奉納されているようです。
芝の増上寺。若い頃に寄せてもらったのとは違う感慨を持ってお祈りさせてもらえました。大人になるって素敵なことね。
今日の西陣織屋の賄いはつみれ汁。画像上部の漬物は数の子なしの大根松前漬け。作ってみたら意外と美味しかったです。