岡本景太(副社長)
光雄の次男として1976年に生まれる。西陣岡本の織り手の中で1番の若手とはいえ経験は18年以上。丹後工場の進行管理も務める。
大学を卒業後、まったく業種の異なる企業で6年半働いたあと、28歳で職人としての一歩を踏み出しました。それまで西陣織にふれてこなかったので、まずは糸に慣れることが最初の課題でした。よく「糸に舐められないように」と言われてきましたが、糸の扱いには、まさにそういった心得が必要です。
少し慣れた後に織り方を教わりましたが、当初は自分でも酷いものだったと思います。怖いのは織っている最中は裏面しか見えないことです。鏡で確認しながら織り進めますが見落としがないとはいえず、織り上がって織機からはずし、裏返して確認する瞬間はドキドキします。緊張感の大小はあれど、それはベテランも同じではないでしょうか。大きなミスをしていたら1枚まるごと織り直しということもありますし、今でも緊張しながら織っています。先輩職人たちを見ていて思うのは、リズム感を保って織っているということ。それは身体に染み付いていくものだと思うので、日々織り続けるしかないのでしょうね。
別企業での経験を経て家業に入り、一番驚いたのは、織り手の職人であれ、それを支える職員であれ、みな仕事に取り組む姿勢が生半可でないということです。休日でも普通に出てきて誰にアピールすることもなく黙々と仕事をしていたりして、仕事への愛着と責任がごく自然に息づいています。その姿に、価値観が変わるような刺激を受けました。私も職人となり18年目で、慣れたとはいえ奥が深く、まだまだです。西陣は分業制で動いているので、自分一人の都合で足を引っ張ることがあってはなりません。職人として織る技術ももちろん必要ですが、トラブルが起きてもあせらずに対処できることも能力のうち。最初にしっかりと余裕のあるスケジュールを組むことを心がけています。また、今は手織り以外の役割として、丹後の工場にお願いしている機械織の段取りや指示を任されるようになっています。こちらも職人さんの高齢化が進んでいるので、無理せず仕事を進め納期が守れるような計画を立て、3〜4か月先まで段取りするようにしています。
ともすれば毎日の仕事で精一杯になりがちですが、世代的にはこれからのことを考えていかなければなりません。私が入ってからも、職人さんが高齢化し西陣織に携わる人がどんどん減るなど、深刻な変化が起こっています。しかし、これまでにない用途や分野にチャレンジするようになってきたという、よい変化もあります。当社は社長と専務が美術系の大学を出ていることもあって、今までの西陣にはなかったものを生み出すものづくりの発想に秀でていると思います。そこで引箔、特に柄箔の技術を生かせることは、当社ならではの強みで、今後、これで勝負できるのではないかと期待しています。ともに未来をつくっていくためにも、いっそうの研鑽に努めます。
(2023年11月13日取材/文・森本朕世)