「岡本やからできる、そう信じて任せてもらえるのが嬉しいです」

西陣岡本 西陣織の手織り職人 岡本忠雄

1942年生まれ。社長・圭司の父。岡本家の長男として、2代目社長として岡本織物株式会社をけん引してきた。
2011年西陣織に対する貢献により瑞宝単光章を受賞。元伝統工芸士。

織屋の長男として生まれ、幼い頃から親が苦労している姿を見てきて、「自分が家業に入って助けてやらんと」と早くから考えていました。そこで高校は西陣の織屋の息子が多く通う洛陽高校の紡織科に入学。織物について幅広く学べたことはもちろん、ここで培ったつながりは、同業者のネットワークとしてその後の人生にもとても役立ちました。高校を卒業し家業に入ってからは、手織りひとすじです。

当社は神社仏閣に納める金襴を織る仕事が主で、私が入った当時は戦争でなくなった袈裟や織物も多く、今とは桁違いに需要がありました。職人さんもたくさんいて、活気のある毎日でした。父もずっと現役で、97歳で亡くなる5年ほど前まで織り続けていました。とにかく忙しくて、3か月先、4か月先まで予定がびっしり詰まっていました。「とにかく織れ。他のことを考える暇があったら織れ」という状態でした。

仕事は仲買(問屋)さんが持ってくる注文に合わせて、求められた寸法どおり、決められた柄どおりに織り上げることが求められます。たとえば丸い意匠を織るために、1cmの中に何本打ち込んだらええ形になるのかを自分で考え、調整しながら織る。最小限の糸を使い、ええ頃合いで織ることで、風合いをつくることができるんです。しかしこれをいちいち考えながらやっているようではまだまだ。本能で身体が動くようになって一人前です。若い頃はなかなかはかどらなくて、よう怒られました。技術が追いつかなくて、わかっていてもできないという悔しい思いもしました。まあ朝から晩まで織機の前に座って織り続けてますから、誰かてそのうち身につくもんやと思いますが。

いつも頭にあるのは、「少しでもええもんを織る」ということです。納品に持っていって突き返されたら恥ずかしいですし(笑)。大きな掛け布などは何社かで分担して織りますが、当社はたいてい複雑で中心となる部分を任せてもらえます。「岡本やからできる」と思って注文をくれはるんです。西陣の仕事は細かい分業で成り立っていますから、みなさんの力が合わさってようやくひとつの製品になります。職人である私たちの名前が表に出ることはないですが、完成品が実際に使われているところを見ると、それだけで誇らしいもんです。

父がずっと現役だったのを見ているので、働けるうちは働きたいですね。仕事をしてるからこそたまの休みも嬉しいと思うし、仕事が苦でないんですわ。西陣は大きく様変わりしましたが、今は息子夫婦中心に新しいことに取り組んでいるし、楽しみな面もあります。どんなことになっていくのか、想像もつきませんが、知恵と工夫でまわりの人々を巻き込んで、新しい形をつくっていってくれたらなと思っています。

(2023年11月13日取材/文・森本朕世)

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