西陣織 金襴を手織りで織る職人 伝統工芸士 岡本忠雄

「岡本やからこの西陣織を織る事ができる、そう信じて任せてもらえるのが嬉しいです」

京都・西陣で西陣織 金襴を織る当社・岡本織物株式会社(西陣岡本)で60年以上にわたり西陣織と向き合ってきた手織り職人、岡本忠雄。
神社仏閣に納める金襴を中心に、西陣織の現場を支えてきた職人が語る「織る」という生き方とは——。

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西陣織一筋60年|手織り職人が語る“織る”という生き方
岡本忠雄

1942年生まれ。岡本織物株式会社 二代目社長。
社長・圭司の父。2011年、西陣織への長年の貢献により瑞宝単光章を受章。元・伝統工芸士。

西陣織の家に生まれて

織屋の長男として生まれ、幼い頃から親が苦労している姿を見てきました。「自分が家業に入って助けてやらんと」と、自然と考えるようになっていました。

そこで高校は、西陣の織屋の息子が多く通う洛陽高校の紡織科へ進学しました。織物について幅広く学べたことはもちろん、ここで培ったつながりは、同業者のネットワークとして、その後の人生にもとても役立ちました。高校を卒業して家業に入り、そこからは手織りひとすじです。

神社仏閣を支える西陣織の仕事

当社は、神社仏閣に納める金襴(きんらん)を織る仕事が主です。私が入った当時は、戦争で失われた袈裟や織物も多く、今とは桁違いに需要がありました。

職人さんもたくさんいて、毎日とても活気がありました。父もずっと現役で、97歳で亡くなる5年ほど前まで織り続けていました。とにかく忙しくて、3か月先、4か月先まで予定がびっしり。「他のことを考える暇があったら織れ」という時代でした。

手織り職人としての修業と技

仕事は仲買(西陣織の流通を担う問屋)さんが持ってくる注文に合わせて、求められた寸法どおり、決められた柄どおりに織り上げることが求められます。

たとえば丸い意匠を織る場合、1cmの中に何本糸を打ち込めばええ形になるのかを自分で考え、調整しながら織ります。最適な量の糸を使い、ええ頃合いで織ることで、風合いが生まれるんです。

これをいちいち考えながらやっているようでは、まだまだ。本能で身体が動くようになって、ようやく一人前です。若い頃はなかなかはかどらず、よう怒られました。わかっていてもできないという悔しさも、何度も味わいました。

でも、朝から晩まで織機の前に座って織り続けていれば、誰でもそのうち身につくもんやと思います。

「岡本やからできる」と言われる理由

いつも頭にあるのは、「少しでもええもんを織る」ということです。納品に持っていって突き返されたら、やっぱり恥ずかしいですし(笑)。

大きな掛け布などは、何社かで分担して織りますが、当社はたいてい、複雑で中心となる部分を任せてもらえます。「岡本やからできる」と思って、注文をくれはるんです。

西陣織の仕事は、細かい分業で成り立っています。多くの職人の力が合わさって、ようやくひとつの製品になる。私たちの名前が表に出ることはありませんが、完成品が実際に使われているのを見ると、それだけで誇らしいもんです。

西陣織のこれからと次の世代へ

父がずっと現役だったのを見てきたので、働けるうちは、できるだけ働きたいですね。仕事をしているからこそ、たまの休みも嬉しい。仕事そのものが、苦やないんですわ。

西陣は大きく様変わりしましたが、今は息子夫婦を中心に新しいことに取り組んでいますし、楽しみな面もあります。

これからどうなっていくのか、正直想像はつきません。でも、知恵と工夫でまわりの人を巻き込みながら、新しい形の西陣織をつくっていってくれたらええなと思っています。

(2023年11月13日取材/文・森本朕世)


西陣織に関連する職人たちのインタビューをまとめてあります。こちらのリンクボタンからどうぞ。

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