西陣からこんにちは ~ vol.2 西陣織とジャカード織機について
ジャカード織機をご存知ですか?織物は経糸と緯糸から成り立ち、一番単純な織物は平織りですが、とても複雑な織物を織ることが出来るのがジャカード織機です。
ジャカードと西陣の出会い
ジャカードと西陣の出会いは1872年(明治5年)に京都府が西陣機業関係者3名(井上伊兵衛氏・佐倉常七氏・吉田忠七氏)をリヨンに送って学ばせ、帰国時に機械を持ち帰ってきたことに始まります。
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- 井上伊兵衛氏:リヨンに約8ヶ月間滞在。明治8年、京都府織工場(のち織殿と改称)の教授となって、西陣織に関しての新技術の指導と普及に当たった功労者。
- 佐倉常七氏:リヨンに約8ヶ月間滞在。ジャカードやバッタンなどの洋式織機を日本に初めて導入。明治8~14年京都府織工場教授として活動。明治25年に西陣の10傑に選ばれ、明治27年米国コロンビア世界大博覧会より協賛名誉賞を受賞。さらに明治29年京都市織染学校嘱託教師となった。<参考文献>四方呉堂「織界の隠士 佐倉常七君伝」(『大日本織物協会会報』121,122,123号)
- 吉田忠七氏:リヨンに約1年と8ヶ月間滞在。フランス・リヨンにて織機の買付けや技術の研鑽に努めたが、帰国途中の伊豆沖で船が沈み帰らぬ人となった。
ジャカード織機の誕生と西陣に来た経緯
ジャカード織機とは1801年、フランスの発明家ジョゼフ・マリー・ジャカール(Joseph Marie Jacquard)氏によって発明された自動織機の事です。
昔のアニメなどに出てくる電子計算機(コンピューターマシン)が吐き出している「パンチカード」。そのパンチカードの先祖がジャカードです。ジャカードを動かすために穴をあけた厚紙でできたパンチカードを使用します。ジャカード織機は今このブログを書いているPCのご先祖様です。
金属針が穴の有る無しで穴を通るか通らないかで、シャフトを連動させてシャフトを個別に上下させます。穴によって指示された経糸(たていと)だけを引き上げて緯糸(よこいと)を通して、パンチカードの指示通りの模様を織る事が出来ます。
それまで複雑な模様の布を織ることは非常に手間がかかりました(西陣では空引き機《そらびきばた》という人力で経糸を上下させる織物で紋織りを織っていました。)。織りたい模様になるよう指示して穴をあけたパンチカード(紋紙と呼ばれる)により、織機の経糸の上げ下ろしを制御できるようになりました。ジャカード織機は複雑なデザインをパンチカードの形にし、どの経糸をどの時に上げるのかを制御することが出来ます。そのおかげで格段に簡単早く織物を織れるようになり、西陣の産業革命が進みました。
上の2枚は空引き機の画像です。上の綜絖を上げ下げする人と下に座って織る人の息を揃えないと中々織り進まないと思いますし、これでは手間がかかる上、複雑なデザインを織るのはとても難しいです。時代劇などに出てくる「織定紋などが入った着物」というのは本当に贅沢な織物です。
上の画像は1849年当時のジャカードのイラストです。当時、本当に革命的な技術だったでしょう。
鎖国をしていた江戸時代が終わり、舶来品と呼ばれた海外製造の輸入品がどんどん日本に入ってきました。
西陣織も近代産業として一部の富裕層の為の超高級品だけではなくて、大衆に向けて量産の必要が出てきたため、フランス・リヨンに京都の織工3人(前述)を留学生として派遣しました。当時の先端織物技術であったジャカード織機やバッタンと呼ばれている「飛び杼」等数十種の織機装置を輸入し、西陣では織物の生産効率が一気に高まりました。
厚紙で出来た紋紙(パンチカード)も保存がきくし、転用も可能です。そのおかげで量産性も高まりました。機械化することで、より精細で新しいデザインの織物も可能になりました。
明治20年代にはこのような洋式技術も定着し、西陣では「速く・高品質・高度なものづくり」が可能になり、500年以上続く産地としてだけではなく、温故知新・新しいものへチャレンジしていく姿勢で近代産業へと生まれ変わることに成功、最新にして最大の絹織物産地となります。
明治末の西陣では、織機を約2万台を有し、生産額は2000万円(現在の価値で210億円ほど)あまりで、全国織物総生産額の約7%を占めました。こうして西陣は新しい技術を取り入れ、幕末から維新にかけての危機を脱出出来たのです。
西陣の現在
西陣は第2次大戦後、機械化がさらに進みました。
新しい技術が次々に導入することで、各々の技術を高度化にしていくために作業工程は細かく分業化されています。
中小企業(家庭単位が多い)が一つ一つのプロフェッショナルとして専業で仕事をするために、より特化した織物を織ることが出来るようになりました。(例えば糸を染める染屋さんでも得意としている糸の種類があり、糸の種類により染屋さんが変わります。)分業化された高度な技術が、弊社のような西陣織の織元に集結して最終的に絹織物として織りあがります。
「ガチャマン景気(織機をガチャンと織れば万の金が儲かった「繊維・紡績」の景気の良い時代)」という西陣でも機屋業者は1万軒を超え、労働力を求めていわゆる「出機(でばた・下請け工場)」が京都市外に沢山作られました。例えば西陣の帯の約6割が京都市外で織られています。
高級な着物や帯だけではなく、ネクタイ・アパレル・カーテン・お守り袋など多様な織物も製造されています。
昭和51年には爪掻本綴織、経錦、緯錦、緞子、朱珍、紹巴、風通、もじり織、本しぼ織、ビロード、絣織、紬の12種類が、国から伝統的工芸品に指定されました。https://okamotoorimono.com/weav/nishijinoritoha/
令和現在の色々なジャカード織機
ジャカード織機は今でも世界中で織られています。先染めで色々なデザインが織り分けられていたらそれはジャカード織機による織物です。
弊社では人力による手機(てばた)、動力により動く力織機(りきしょっき)と呼ばれている昔から使われている織機で織っています。
↓こちらは、名古屋にある、「トヨタ産業技術記念館」にて拝見してきた環状織機とエアジェットルームの動画をまとめました。
ジャカード自体の基本構造は変わりませんが、厚紙で出来た紋紙からフロッピーでの電子紋紙になり、もうフロッピーディスクでの紋紙も世間からはなくなりつつあります。弊社では一部フロッピーディスクの紋紙を使っていますが、大半はメモリを利用したデータでの紋紙になっています。メールで紋紙を送れるようになり、とても楽になりました。
20年ほど前まで弊社でも頻繁に紋紙を使っていましたが、柄が大きくなればなるほど紋紙の枚数が増えて、紋紙は重たいし、それを輸送・用意・保存など非常に大変でしたが、データになった今、本当に便利になったなと実感しています。
ジャカードのこれから
このブログを書いている者は布が大好きです。世界中で織られている多種多様なジャカード織を見るとわくわくします。
ジャカード織機の新製品も沢山出ていて、写真と見間違うような織物を織る事も可能です。
私たちもお客様がわくわくするような西陣織の絹織物、絹織物製品をこれからも販売していきます。
オンラインストアはこちらへどうぞ。