西陣からこんにちは ~ vol.1 西陣織 を織る一家のお話

こんにちは、西陣岡本のウェブサイトを管理運営している岡本絵麻と申します。

西陣岡本 岡本絵麻

北海道札幌市で生まれ育ち、西陣で金襴という織物の仕事をして令和元年で22年目になります。

外から西陣に入ってきた者として、これから西陣のこまごました話などを書いていこうと思います。

西陣での私の役割

私は、西陣織の紋意匠(デザイン、紋作り)、検反、営業、広報、WEBサイトやSNSの管理など、社内の何でも屋です。当社では、8人中5人が親世代、3人が40代で、社長と副社長、40代の女性は私一人です。必然的に何でも屋にならざるを得ません。

「西陣の女」と言う水上 勉氏の小説をご存知ですか?

この小説は、運命に翻弄される女性の物語で、とてもハードな内容です。

ですが、実際に私が出会った西陣の女性たちは、強い意志を持ち、家業を一生懸命支えています。

私が西陣で出会った「西陣で育った女性たちの多く」は、織屋で生まれ育ち、織屋に嫁いだ方がとても多い。そのため、西陣では「専業主婦」という概念がほとんどありません。皆が同じ屋根の下で力を合わせて働いており、その姿勢が西陣の特色です。

  • 小学生の頃から帰ったら経糸を継ぐ手伝い、紋紙をかける手伝い、お使いなどの仕事が待っている。
  • 高校生になるとかなり手伝いができるようになり、卒業したら即戦力として織物を織っていた。
  • 職住一体なので家事をしながらの糸作業や織の準備。
  • 休みは1日と15日で月に休みは2日。
  • 朝早くから夜も遅くまで仕事の日々。通勤時間がないとどうしてもそうなってしまう。
  • 朝から晩まで仕事だけれど、用事や習い事があれば割と自由に抜けることは出来る。自分が基本の裁量労働制的な仕事である。ただし、納期に追われた場合は別。

西陣のような、職人の集合で成り立つ町は家内制手工業=マニュファクチャーが多い為、家族総出で働く意識がとても重要だと感じています。家族の絆が無ければ成り立たない仕事はとても少なくなってしまいましたが、西陣にはまだその感覚は残っていると思います。

西陣織について

弊社、岡本織物株式会社は金襴と言う神社仏閣を荘厳する豪華絢爛な絹織物を織る家業を守っています。

西陣は「西陣織」と総称される絹織物で栄えた町。沢山の織屋さんが軒を並べて織物を織っています。

当社ブログ、”「西陣」と「西陣織」は「西陣織工業組合」の登録商標について” 西陣にある織物の種類について詳しく掲載してます。

https://okamotoorimono.com/weav/nishijinoritoha/

西陣織の仕事をしているというと「帯を織っているんですね」と言われますが、西陣織は帯だけではありません。

様々な織物

西陣は弊社の仕事である神社仏閣の金襴、帯、ネクタイ、ショール、着尺、雨コート用の布地、表装裂、駅伝などで使われるタスキ等多種多様な織物を織っています。絹だけではなく、綿、化学繊維など使用する糸も様々です。用途に合わせて織物を織る産地です。

794年の平安京への遷都により、朝廷では絹織物技術を受け継ぐ織部司(おりべのつかさ)という役所を作り、綾・錦などの高級織物を生産させました。

織物の工人たちは現在の京都市上京区上長者町あたりに集まって、織部町といわれる町をかたちづくっていたといわれます。

西陣の進化と技術

室町時代の中頃、応仁の乱(室町時代の応仁元年(1467年)に発生)が起こり京都の織物業界は壊滅状態になりましたが、戦乱が治まると上京区新町今出川上ル付近に、また織物の町を作りました。

応仁の乱の時にその織物の町が「西の陣」の位置だったため、「西陣織」と呼ばれるようになりました。西陣織とその産地・西陣は朝廷からも認められ、豊臣秀吉などによる保護を受ける一方、その後も自ら中国・明の技術を取り入れるなどしてすぐれた織物を生み出し、発展を続けました。日本の絹織物業の代表的存在であると同時に、京都を代表する産業ともなったのです。

江戸時代になり、世の中が安定してくると、高級織物の産地である西陣はさらに繁栄しました。大陸伝来の高機(たかはた)という技術を取り入れ、先染めの紋織技術を確立し、高級織物の産地としての地位を築きました。

西陣織 高機
西陣で織られていた高機。2人が共同作業で織物を織ります。

上記の写真が西陣で織られていた空引き機という高機。織機の上に人が上がり、経糸を上に引き上げて文様を織り出します。

暗い室内で大変な仕事だったと思います。

人が綜絖糸を上げ下げする為、複雑なデザインはとても難しく、紋様は丸紋、立枠などの簡単なデザインが多かったのではないでしょうか。

そこへ登場したのが明治時代にやってきたジャカード機です。

西陣からの留学生がフランスリヨンから明治時代にジャカード機を20台持ち帰りました。
これは画期的な機械で、パンチカードを使った初期のコンピューターです。

人が上で操作をすることなく、紋紙を載せるだけで、延々と繰り返しの紋様を織る事が出来ます。
このジャカード機の登場により、西陣織の生産性が急激に上がりました。

西陣金襴青年会が室町小学校の織機にジャカード機を取り付けた記録のページのURLを載せます。

http://www.edu.city.kyoto.jp/hp/muromachi-s/nisijin/jakard02.htm

弊社の布地

西陣織には沢山の織技法があります。西陣織工業組合の解りやすい説明があるのでURLを載せました。下記を御覧ください。西陣織 の品種

当社のの布地は、「緯錦」、「朱珍」、「捩り織」など、多彩な技法を用いて織られています。

特に「本金引箔」は和紙に漆を塗り、金箔を貼った美しい糸で、西陣でしか織ることができない技術です。

「本金引箔」は平べったいままの平箔糸を織り込むのが特徴です。

引箔

こちらに金の糸の作り方の動画がありますので御覧ください。
金箔の糸の作り方~long ver. 西陣織 https://okamotoorimono.com/movie/goldyarnlong-ver/

「金襴」という名の通り、「金色に特化した布地」が一番の特徴で、この金の色を邪魔しないような細い細いカラミ糸でとじています。カラミ糸は21中単糸、「平均したら21デニールくらいの単糸」という糸です。

カラミ糸

こちらの糸は、金色の光を一番邪魔しない「朱色」に染めています。精錬も少なめでセリシンが少し残った状態で、ぱりぱりした手触りの絹糸です。

このような糸の存在も西陣ならでは。西陣織は長い年月をかけて美しい絹織物を提供する為に進化してきました。

西陣は昨年、応仁の乱から550年目を迎え、「西陣」と呼ばれて550年の節目の年となりました。

西陣と呼ばれて550年
西陣と呼ばれて550年

高齢化、ファストファッションの台頭などで色々と大変になっている 西陣織 ですが、各社奮闘しております。
西陣には沢山の「西陣織」の会社があります。

織るだけではなくて、織に関連する多様な職種が存在し、超絶な作品を作りあげるのはそんな職人達の技術の賜物です。一枚の布は沢山の職人達の色々な技術が積み重なって織りあがります。

そんな職人達の所作にもスポットライトを当てたいと弊社のInstagramでも写真を掲載しています。

instagram 西陣岡本
instagram 西陣岡本

https://www.instagram.com/nishijin.okamoto/

これから「西陣からこんにちは」を不定期に投稿予定です。
西陣織のこと、織物について、西陣の事等私が書ける範囲で色々書いて行こうと思っています。

以後の予定

  1. 西陣からこんにちは ~ vol.2 西陣織とジャカード織機について
  2. 西陣からこんにちは ~ vol.3 織物の基本 経糸&緯糸
    1. 西陣からこんにちは ~ vol.3 布について 1 https://okamotoorimono.com/artisan/hello3-1/
    2. 西陣からこんにちは ~ vol.3 布について 2 https://okamotoorimono.com/artisan/hello3-2/
  3. 先染め織物と後染め織物の違い
  4. 織、染、編みの違い
  5. 糸について これは長編になりそう
    1. 麻、綿などの植物繊維
    2. 絹、毛などの動物繊維
    3. 化学繊維

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