中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん~西陣金襴織屋のお地蔵さん見物

こんにちは。火曜日ですね。雨が続いてじめじめしている京都からお届けいたします。

今日の金襴織屋のお地蔵さん見物は東洞院を丸太町を下がった所(丸太町通りの南側、という意味)の東側にいはりましたお地蔵さんのご紹介です。
今回は撮れてないのですが、このお地蔵さん、夜はライトアップされています。ここら辺は意外と夜は暗いのでぼ~っと明るいお地蔵さんにドキッ☆とした事も多くあります。

中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん
中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん

金に光る祠の金具に、エメラルド・グリーンというかターコイズ・ブルーというか、とにかく綺麗な色の幕が中々良い感じだと思います。そこへの刺し色は消火器ボックスの赤ですね。

中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん
中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん

↑輪宝の紋が男らしくて素敵に感じます。

中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん
中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん

お花も活き活きと。

中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん
中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん

おべべは鹿の子絞りに巻き上げ絞りと思われる花の紋様のおべべ。どなたかのお襦袢だったものを仕立て直したとかでしょうか。お地蔵さんは珍しいくらいモリモリと盛り上がったまあるいお顔に全てを悟ったかのような表情をしてはります。

↓の画像をごらん下さい。お地蔵さんの後ろに更に厨子があります。あの厨子の中にはいったいどのようなものが納められているのか・・・気になります~。

中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん
中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん

ここいらへんは書家の岸駒さんのお宅のあとだったそうで・・・岸駒さんとは一体どなたぞな?と調べてみました。

なんと、無知は罪。書家ではありません。「書」の古い字体なのですが「画家」さんだったそうです。まあ、絵を書ける方は字もお上手な事が多いですからね。そして「岸駒さん」を「きしこまさん」と読んでいましたが「がんこまさん」だそうです。

岸駒さんは金沢育ち。貧しい出身ですが、4歳の頃に絵をはじめて描いたらしい。1778年に上洛しはります。円山応挙の円山派に支持していたとも言われ、一流絵師として京都の社寺、町家の至る所にまで岸派の作品が残っているそうです。弊社には無いと思います。彼は83歳あるいは90歳(なぜか年齢詐称をしてはったそう)の長寿を全うして亡くなりました。江戸時代にそのお年だったらものすごい長寿ですね!

中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん
中京区東洞院竹屋町上ル三本木町のお地蔵さん

京都はお地蔵さんも多いですが、「昔ここにはこんな文化人が住んではったんやで」という石碑も多く建っています。石碑になる寸前の人や、ならなかった人達も沢山沢山いはるやろうし、いろんな人の思いが京都には詰まってるんやろな、と思います。そんな私の感傷も少しは残るのかしら。

西陣の西陣織屋で金襴を日々織っています岡本織物、身近に金襴製品を、という思いで「西陣織 正絹金襴印鑑ケース」を作りました。どうぞご覧下さい。

印鑑ケース
印鑑ケース

テーブルランナーを飾り台などに掛けていただき生活に輝き☆を

西陣金襴正絹 羽重紋様テーブルランナー
西陣金襴 羽重紋様テーブルランナー

素敵な香りと本金のきらめきを胸元や袂、ポケットに潜ませてと言う思いで作りました。匂い袋でございます。

金襴織屋の匂い袋の包装
金襴織屋の匂い袋の包装

今日の織屋の昼ご飯は、菜飯と肉じゃがでございました。
菜っ葉飯は大好物ですが、池波正太郎によって菜飯へのなんとも言えない熱い思いを抱いたことを思い出します。すりゴマが少々。鬼平犯科帳でも剣客商売でも梅安でも池波作品には美味しそうに出てくる菜飯。私は菜っ葉ごはんと呼んでいましたが、「菜飯」の響きは江戸の粋な感じがいいですね。深川飯にもそそられますが、菜飯は手軽で美味しい。

菜飯と肉じゃが
菜飯と肉じゃが

 

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