ついつい10月10日が体育の日だと思ってしまう岡本織物です。
西陣で金襴という正絹織物を織っています。伝統工芸という範囲に甘んじずに新しい金襴を織りたい物だと日々考え中でございます。
西陣織・金襴の布地こちらに色々と金襴地を載せておりますのでお時間ありましたらご覧頂けたら嬉しく思います。
10月10日が体育の日ではなくなってしばらく経ちます。昨日が体育の日でしたね。体育の日の前日、日曜日は京都市内では各地で「区民運動会」が行われていました。大人の皆様筋肉痛にならないようお気をつけて運動なさってください。
今日の織屋の神社見物は天王寺の大江神社。
四天王寺の鎮守である四天王寺七宮のひとつです。
四天王寺七宮とは・・・
- 大江神社(夕陽丘町)
- 上之宮神社(上之宮町) – 大江神社に合祀。
- 小儀神社(勝山1丁目) – 大江神社に合祀。
- 久保神社(勝山2丁目)
- 土塔神社(大道1丁目) – 大江神社に合祀。
- 河堀稲生神社(大道3丁目)
- 堀越神社(茶臼山町)
大江神社への急な階段の横には坂道がありました。清水坂。
この坂の横に大江神社への入り口がありました。うっ。階段・・・。私がかなり苦手とするものです。
狛犬さんが鳥居の元で神社を守っています。
ちなみにこの階段は「百歳の階段」という名称で呼ばれていて
「この階段は百一段あり、人生の区切り百歳より後もう一歩、心も体も健康でありますようにと願いを込めて名付けました。一歩一歩踏みしめて神様にお参りしましょう」と書いてありました。踏みしめなくても一歩一歩気合を入れないと・・・登れへん・・・。
ふう。登れました。この画像の左にちらりと女子高生が見えます。二人で大きな声で青春らしい話をしてはりました。ええですね~。懐かしいなあ。
さてさて本殿をお参りいたしましょう。
神社というのは装飾も少なく清清しいですね。
祭神は豊受大神(トヨウケビメ)、素盞嗚尊(スサノオノミコト)、欽明天皇(キンメイテンノウ)、大己貴命(おほなむち)=大国主命、少彦名命(スクナビコナ)の五柱。四天王寺の鎮守として聖徳太子が祀られたものと伝えられています。確か聖徳太子は崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏の間に武力闘争が発生した時に参戦し、四天王の形を作り、「この戦に勝ったら四天王を安置するお寺建てる」という誓願をしたそうです。「日出処の天子」で読みました。戦いは無事に勝利し、聖徳太子は四天王寺の建立に取り掛かったのです。
天王寺北村の産土神である大江神社。狛犬の表情がいいお顔です。右手の下の赤ちゃん狛犬もしっかりしたお顔。
この狛犬にも沢山の紐が巻かれています。やはりこれは家出人の捜索なんでしょうか・・・。
明治37年の奉納らしい。戦火も耐えたのね・・・。
本殿前の阿の狛犬さんもいいお顔~☆
両方とも羽田さんの奉納ですね。
昔からある神社はこのような石塔も沢山あります。ちょっと困ってここに置いたのかしら。
こちらの狛犬さんのほうが古そうです。
やはり・・・紐が巻かれています。この5色の紐がまとめて一本なんですねたぶん。
この鳥居は階段とは反対の谷町筋側の鳥居。
天王寺は聖徳太子建立の四天王寺もあることから古来より栄えた土地。四天王寺は推古天皇元年(593年)に建立が始まったと伝えられ、荒陵寺(あらはかでら)・難波大寺(なにわだいじ)・御津寺(みとでら)・堀江寺(ほりえでら)などの別称があるそうです。荒陵寺(あらはかでら)は古墳があったのかしら。難波大寺、御津寺、堀江寺という事から海も近かったんでしょうね。
その頃の天王寺をちょっと見てみたい。今は建物と車の溢れる土地ですからね~。
西陣の西陣織屋で金襴を日々織っています岡本織物、身近に金襴製品を、という思いで「テーブルランナー」を作りました。どうぞご覧下さい。
クラッチバッグ等も作っております。弊社の金襴地をこのように使えます。
素敵な香りと本金のきらめきを胸元や袂、ポケットに潜ませてと言う思いで作りました。匂い袋でございます。
今日の織屋の賄いは、小松菜と人参の胡麻和えとちょっとジャンクに鮭のマヨネーズ焼きでした。