こんにちは。エイプリルフール!上手なうそに出会えましたか?
このブログは京都西陣にある金襴織屋の岡本織物が書いています。
岡本織物では金襴と言う「金糸・金箔糸」を多用した豪華絢爛な織物を日々織っています。
主に、神社仏閣の荘厳に関するものを織っているのですが、自分達の布が製品になって使われている所をあまり見たことがありません。もちろん布地は毎日見ているんですけど。
いったい金襴はどのようなところで使われているのか?という疑問を抱いて、金襴を探してさまよっています。京都に沢山あるお地蔵さんにはおべべやミニ戸帳として使われています。
そしてもちろんお寺には沢山あるはず(しかし金襴はお寺の宝物の為、法要など重要な時にしか使われてない事が多い・・・)
普段着の金襴で結構。色々と探してみましょう。
というテーマでブログを書いていることが多いです。
神社仏閣がテーマ→https://okamotoorimono.com/category/templeshrine/
道々のお地蔵さんがテーマ→https://okamotoorimono.com/category/jizo/
今日はお寺。大阪北の太融寺を見学してきました。梅田駅から歩いても近く。残念ながら金襴はちらっと座布団にしか発見できず・・・。金襴はお寺の宝物としてお蔵の中に安置されているはずだと私の心をなだめて。
太融寺はその名前が町内になっております。大きなお寺さんでした。真言宗の寺院。山号は「佳木山」院号は「宝樹院」。大阪キタの「パワースポット」として有名です。スーパーカリスマ弘法大師の創建です。こちらのお寺の御本像は嵯峨天皇のご念持仏だった千手観世音菩薩。
伽藍も立派な真言宗のお寺さん。
竜が網の中に。夜な夜な出歩くから閉じ込めてあるとかいないとか・・・。たぶん鳩対策ですが。
新西国第2番です。新西国三十三箇所(しんさいごくさんじゅうさんかしょ)とは、昭和7年に京阪の三都新聞連合の読者の人気投票で選定された33箇所の事です。人気投票!関西の人は御札所を回るのを目標としてはる方がおおいですからね。掛け軸を持参で回って歩いたとか、お遍路さんの服装は完備とかよく聞きます。私もいづれはどこかに行ってみたいとは思っていますが、中々時間を裂けず。
お葬式などに行くと、仏さんが自分で回って自分のために集めた御朱印を掛け軸にして掛けてはるのなどを見かけます。
太融寺さんは
新西国三十三ヶ所霊場第二番
近畿三十六不動尊霊場第六番
おおさか十三仏霊場第八番
摂津国八十八ヶ所霊場第六番
ぼけ封じ観音霊場第七番
なにわ七幸
と色々な称号をもってはり「「高野山真言宗 準別格本山」といわれています。
天井画がすばらしい。
竜が多いですね。お寺さんには竜がつきものです。お地蔵さんでも竜の意匠は多いです。
前庭もとても綺麗にお掃除されています。
不動明王さん。不動明王と提灯はよく合います。
写真では現せていませんが、お線香のうす曇と提灯の明かりの中、外の滝側からの光の逆光のお不動さんはなんともいえない艶がありました。素敵です。こちらのお不動さんは「一願堂のお不動さん」として有名で、お願いを一つかなえてくれるそうです。このおお不動さんの前にいはった初代のお不動さんは第二次世界大戦の大阪大空襲で焼け落ちてしまい(1615年大阪城落城の時にも全焼してはるそうです)、お寺の瓦礫の中に横たわっていたものを現在は秘仏として奥の院(判りませんでしたが洞窟があるそうです)に安置されていはるそうです。今でも、願いを叶えようと訪れる人が後を絶ちません。私が行った時もたくさんの人がお参りに参ってはりましたが多数、というか、99パーセントは女性でした。どうも女性がお参りすると霊験あらたかだそうです。
一本の滝がありました。滝行は出来なそうですが何やら神秘的。
滝とお花がいいかんじ。
↑不動明王を御本尊に抱く「護摩堂」
↑大師堂。大師とは・・・いわずもがな、スーパーヒーローカリスマ弘法大師。江戸時代初期に作られた日輪を背負われている大師像が安置されています。
↑太子堂の中。
おお。座布団に金襴発見。遠すぎてなんの紋様なのかよくわかりません。
↑マニ車。回したくなります!回しました。マニ車とはこの車の中にはありがたいお経が納められてはって、この車をくるくると手で回すと経典一巻を読んだことになるという私のように怠惰なものには最適な信仰のための道具。ありがたい。
芭蕉さん51歳の句。
「しら菊の 目に立てて 見る 塵もなし」
これは・・・↑ありがたい観音様じゃないですか。これからの私には必要だと思います。↓このかわいらしい老男老女。人は老いて子供に戻るといいますが・・・、はっきりいってせっかく大人になったので戻りたいとは一瞬も思いません。なのでぼけ封じ観音様にこのようにすがることはないけれど、ありがちたいとは思いたい。
↓は淀様のお墓。大公秀吉の側室で唯一秀吉の子供「秀頼」を生んだといわれる女性のお墓です。遺骨は、大阪城外の弁天島に一祠を作って埋められたのですが大阪城公園)造成に当り移祀され、このお寺に移ってきはったそうです。
賑やかな大阪キタの中、広い境内の中に静かな一画がありました。お仕事中のキタ界隈、飲みつかれた朝、お参りしてみたらいかがでしょうか。お寺というのは心落ち着きます。