西陣からこんにちは ~ vol.1 西陣織 を織る一家のお話

西陣からこんにちは。

この 西陣織 を織っている、西陣岡本の ウェブサイトを管理運営している岡本絵麻と申します。

岡本絵麻です。
岡本絵麻です。

北海道札幌市生まれ札幌市育ち、生粋の道産子が西陣で金襴と言う織物の仕事をして令和元年で22年。

ぼちぼちと西陣のこまごました話等々を書いて行こうと思います。

西陣からこんにちは ~ vol.1

まずは自己紹介から

私は 西陣織 の紋意匠(デザイン、紋作り)、検反、飯炊き、営業、広報、WEBサイト、SNS管理など社内の何でも屋です。
北海道札幌市で生まれ育ち、西陣の金襴織屋、岡本織物株式会社に入社して21年、京都、西陣での生活も今年で22年になります。
岡本織物株式会社はマニュファクチャー、西陣本社8人中5人は親世代、3人は40代、40代で女性は私一人です。必然となんでも屋にならざるをえません。

「西陣の女」と言う水上 勉氏の小説をご存知ですか?

中々ハードな内容で、運命に翻弄される女性の可哀想なお話です。
山繭を育てている寒村から奉公で西陣へやってきた美しい少女がつづれ織の職人に恋しながらも運命に割かれ、高名な絵描きの後妻へ求められ幸せになれるかと思いきや、女性と職人がお互い苦しむという話だったような・・・。
実際私が出会った西陣の女達はこんな運命には翻弄されず、強い意思を持ち、家業をひたすらがんばっている方がほとんどです。
私の周りには西陣で生まれ育った女性が沢山いはりますが、織屋で生まれて、織屋で織屋の家業を手伝いながら育ち、織屋に嫁ぐという方が非常に多かった為、西陣では「専業主婦」という概念はほとんど無い状態です。
確かに一日中家にいますが、それは夫も同じ。
皆が同じ屋根の下で力を合わせて働いています。
しかし、企業になっていないところが多いので職歴には「織職人」として書き込むことは少ない。今の時代、それはとても勿体無いです。

この(西陣)というのは西陣という地域で西陣織に関わる職人家での事です。職場勤めのサラリーマンは除きます。

  • 小学生の頃から帰ったら経糸を継ぐ手伝い、紋紙をかける手伝い、お使いなどの仕事が待っている。
  • 高校生になるとかなり手伝いができるようになり、卒業したら即戦力として織物を織っていた。
  • 職住一体なので家事をしながらの糸作業や織の準備。
  • 休みは1日と15日で月に休みは2日。今の「週休3日」とかそれしか働かなくてお金になるのだろうか、とは私ですら思います。
  • 朝早くから夜も遅くまで仕事の日々。通勤時間がないとどうしてもそうなってしまう。
  • 朝から晩まで仕事だけれど、用事や習い事があれば割と自由に抜けることは出来る。自分が基本の裁量労働制的な仕事である。ただし、納期に追われた場合は別。

兎に角、西陣のような、職人の集合で成り立つ町は家内制手工業=マニュファクチャーが多い為、家族総出で働く意識がとても重要だと感じています。家族の絆が無ければ成り立たない仕事、今はとても少なくなってしまいましたが、西陣にはまだその感覚は残っていると思います。

西陣織について

弊社、岡本織物株式会社は金襴と言う神社仏閣を荘厳する豪華絢爛な絹織物を織る家業を守っています。
それはそれは美しい(色々な関係で神社仏閣の仕事の写真を掲載することは出来ません)絹織物を織っている西陣の織屋の一つです。
西陣は「西陣織」と総称される絹織物で栄えた町。沢山の織屋さんが軒を並べて織物を織っています。

弊社ブログ、”「西陣」と「西陣織」は「西陣織工業組合」の登録商標について” 西陣にある織物の種類について詳しく掲載してます。

https://okamotoorimono.com/weav/nishijinoritoha/

西陣織の仕事をしているというと「帯を織っているんですね」と言われますが、西陣織は帯だけではありません。
西陣は弊社の仕事である神社仏閣の金襴、帯、ネクタイ、ショール、着尺、雨コート用の布地、表装裂、駅伝などで使われるタスキ等多種多様な織物を織っている産地です。絹だけではなく、綿、化学繊維など使用する糸も様々です。用途に合わせて一番良い織物を織る産地です。
794年の平安京への遷都により、朝廷では絹織物技術を受け継ぐ織部司(おりべのつかさ)という役所を作り、綾・錦などの高級織物を生産させました。
織物の工人たちは現在の京都市上京区上長者町あたりに集まって、織部町といわれる町をかたちづくっていたといわれます。

室町時代の中頃、応仁の乱(室町時代の応仁元年(1467年)に発生)が起こり京都の織物業界は壊滅状態になりましたが、戦乱が治まると上京区新町今出川上ル付近に、また織物の町を作りました。
応仁の乱の時にその織物の町が「西の陣」の位置だったため、「西陣織」と呼ばれるようになりました。
西陣織とその産地・西陣は朝廷からも認められ、豊臣秀吉などによる保護を受ける一方、その後も自ら中国・明の技術を取り入れるなどしてすぐれた織物を生み出し、発展を続けました。日本の絹織物業の代表的存在であると同時に、京都を代表する産業ともなったのです。
江戸時代になり、世の中が安定してくると、高級織物の産地である西陣はさらに繁栄しました。
大陸伝来の高機(たかはた)という技術を取り入れ、先染めの紋織技術を確立し、高級織物の産地としての地位を築きました。

西陣織 高機
西陣で織られていた高機。2人が共同作業で織物を織ります。

上記の写真が西陣で織られていた空引き機という高機。織機の上に人が上がり、経糸を上に引き上げて文様を織り出します。
暗い室内で大変な仕事だったんじゃないかと思います。
人が綜絖糸を上げ下げする為、複雑なデザインは避け、紋様は丸紋、立枠などの簡単なデザインが多かったのではないでしょうか。

そこへ登場したのがジャカード機です。

西陣からの留学生がフランスリヨンから明治時代にジャカード機を20台持ち帰りました。
これは画期的な機械で、パンチカードを使った初期のコンピューターです。

人が上で操作をすることなく、紋紙を載せるだけで、延々と繰り返しの紋様を織る事が出来ます。
このジャカード機の登場により、西陣織の生産性が急激に上がりました。

西陣金襴青年会が室町小学校の織機にジャカード機を取り付けた記録のページのURLを載せます。

http://www.edu.city.kyoto.jp/hp/muromachi-s/nisijin/jakard02.htm

西陣織には沢山の織技法があります。
西陣織工業組合の解りやすい説明があるのでURLを載せました。下記を御覧ください。西陣織 の品種

弊社の布地は3番の緯錦です。
錦とは色糸で紋様を織った織物の事。
織物の中では最も華麗と言われています。沢山の緯糸で多彩な紋様を織り出した織物で、弊社の場合は、3枚綾、5枚朱子、を通常地として表裏とも搦糸で抑えています。

弊社が得意とする「本金引箔」も中国から来た技術ですが、今では世界で探しても西陣でしか織れないと思います。

和紙に漆を塗り、金箔を貼った美しい糸で、平べったいまま織り込むのが特徴です。

引箔
引箔

こちらに金の糸の作り方をまとめた動画がありますので御覧ください。
金箔の糸の作り方~long ver. 西陣織 https://okamotoorimono.com/movie/goldyarnlong-ver/

「金襴」という名の通り、「金色に特化した布地」を売りにしていますので、この金の色を邪魔しないような細い細いカラミ糸でとじています。
21中単糸と言って、「平均したら21デニールくらいの単糸」ですよ。という糸です。

カラミ糸
カラミ糸

こちらの糸は、金色の光を一番邪魔しない「朱色」に染めています。精錬も少なめでセリシンが少し残った状態で、ぱりぱりした手触りの絹糸です。
このような糸の存在も西陣ならでは。西陣織は長い年月をかけて美しい絹織物を提供する為に進化してきました。

西陣は昨年、応仁の乱から550年目を迎え、「西陣」と呼ばれて550年の節目の年となりました。

西陣と呼ばれて550年
西陣と呼ばれて550年

高齢化、ファストファッションの台頭などで色々と大変になっている 西陣織 ですが、各社奮闘しております。
西陣には沢山の「西陣織」の会社があります。
織るだけではなくて、織に関する多様な職種が存在し、超絶な作品を作りあげるのはそんな職人達の技術の賜物です。
一枚の布は沢山の職人達の色々な技術が積み重なって織りあがります。

そんな職人達の所作にもスポットライトを当てたいと弊社のinstagramでも写真を掲載しています。
御覧いただけましたら嬉しいです。

instagram 西陣岡本
instagram 西陣岡本

https://www.instagram.com/nishijin.okamoto/

これから「西陣からこんにちは」を不定期に投稿予定です。
西陣織のこと、織物について、西陣の事等私が書ける範囲で色々書いて行こうと思っています。

以後の予定

  1. 西陣からこんにちは ~ vol.2 西陣織とジャカード織機について
  2. 西陣からこんにちは ~ vol.3 織物の基本 経糸&緯糸
  3. 先染め織物と後染め織物の違い
  4. 織、染、編みの違い
  5. 糸について これは長編になりそう
    1. 麻、綿などの植物繊維
    2. 絹、毛などの動物繊維
    3. 化学繊維