下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 不動明王院と道祖神社~西陣金襴織屋の神社見物

こんにちは。西陣の金襴織屋、岡本織物です。
今日は9月19日金曜日。元旦から数えて262日目で残りは103日!たった103日です。早いですね・・・。

UKの独立投票はどうなるんでしょうか。民族の願いなんでしょうが、中々難しい話ですね。でもスコットランドには一度行ってみたい・・・。

今日9月19日は漫画家の一条ゆかりさんのお誕生日だそうです。有閑倶楽部好きです。

このバブルな感じの4巻の表紙がすき。全巻持ってるはずなんですが・・・引越しが重なって今では最後の方の巻くらいしかないかもしれません。

さて、私はバブルとは縁の遠い、神社仏閣、お地蔵さんめぐりに精を出しています。
金襴を探しているうちに神社仏閣お地蔵さんに巡り合いました。出会いとは意外なものです。ナムナム。

今日は京都駅中央口から北西の方角、南不動堂町にあります不動明王院。

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 不動明王院
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 不動明王院

こちらのご本尊はスーパーカリスマ空海(弘法大師)が収めたという不動明王像。空海が東寺を賜ったときに東寺の鬼門にあたるこの地で霊石を発見したそうです。その石に不動明王を空海自ら彫り上げ石の棺に入れて地中深く納めたそうです。不動明王が東寺の鬼門を守っているんです。
本尊は地中深くに封じ込められているので現在拝める不動明王はご本尊ではないそう。
現在は浄土宗西山派の寺院ですが昔は密教だった模様。28日が縁日です。護摩木を焚き上げてくれるのですが焚き上げの後には、ご住職と一緒にお茶を頂きながら仏教のお話ができるそうです。誰でも参加可能☆こういうのも楽しそうです。午後2時からです。なかなか働いているといけない時間ですね・・・。

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 不動明王院
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 不動明王院

新撰組の「まぼろしの屯所」と呼ばれているそう。新撰組が西本願寺から不動村に屯所を移したという記録があるそうで、たぶんこの不動明王院が有力なのですが場所の記録は内容で「まぼろし」と言われているそう。

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 不動明王院
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 不動明王院

赤い提灯っていいですね。

不動明王院 不動明王立像
不動明王院 不動明王立像

あら。なんだか見たことのある金襴がかかっています。唐花紋様の金襴☆ 不動明王院のサイトよりお借りしてきた画像なんですが・・・。不動明王院 堂内案内

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 不動明王院
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 不動明王院

↑のお地蔵さんを覗こうと思ったのですがあの小さな穴からは真っ暗で何も見えませんでした。

↓こちらは道祖神社。道祖神とは文字通り道にある神様。道端の神。村の境や道の辻、三叉路などに石碑や石像として設置されています。道を旅行く人々の安全を祈る事が多いです。道祖神は交通の要に置かれている事が多いです。上記の不動明王院のすぐお隣です。

祭神は、猿田彦大神(さるたひこおおがみ)、天鈿女命(あめのうずめ)の二柱。猿田彦さんは、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が葦原の中つ国を治めるために天降った時(天孫降臨(てんそんこうりん)と言われる)に道案内をして筑紫の日向の高千穂に降り立つことができたことから、道の神・旅人の神として信仰されています。縁結び、交通安全などの信仰も集める。

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社

今や三方を高層ビルに囲まれて・・・。抜けるような青空がなんともいえません。

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社

鳥居は明治34年。

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社

どなたを模したのかはわかりませんが、平安装束の仲睦まじい男女の像。こちらの神社は縁結びの神様としても有名です。宮司さんが昭和51年に建立されたものみたい。

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社

こちらの仲良しの像は少々古そうですね。

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社

「交通安全の神」「えんむすびの神」

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社

よくわかりませんでしたが何社か末社もいはります。

下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社
下京区油小路通塩小路下る南不動堂町 道祖神社

大綱秀吉によってこの現在地に移動させられたそうですが、由来としては899年に宇多天皇(うだてんのう)という第59代の天皇が晩年を過ごしたと言われる亭子院(ていじのいん)の鎮守社とされた事を起源としているそうです。

↓は京都市下京区油小路通木津屋橋上ルの本光寺の玄関門。公開しているお寺ではないのになぜ?こちらは上記の「不動明王院」が幻の新撰組の屯所だった事とちょっと関係があります。「幻の屯所」としての不動村に新撰組がいるときに「新撰組から離脱し、同志14名と共に御陵衛士になった伊東甲子太郎」がこの門前で新撰組により暗殺されたのです。享年33歳。なんと早熟な・・・。

伊東甲子太郎他三名殉難の地 本光寺
伊東甲子太郎他三名殉難の地 本光寺
伊東甲子太郎他三名殉難の地 本光寺
伊東甲子太郎他三名殉難の地 本光寺

伊東甲子太郎他数名殉難の地
伊東甲子太郎は常陸の出身で学問もでき剣は北辰一刀流の名手であった。
元治元年に門弟ら7人を率いて新撰組に入隊し参謀として重視された。
しかし、尊皇派であった伊東は次第に隊長近藤勇と相反するようになり、慶応3年3月に同士15人とともに新撰組を脱退して御陵衛士となり高台寺月真院を屯所とした。その後薩摩藩の援助を受け盛んに倒幕を説いた。
しかし、新撰組との対立は深く、同年11月近藤勇らは伊東を招いて酒を振る舞い酔った伊東をその帰路この地で刺殺した。
この知らせを聞いた伊東一派は直ちに駆け付けたが待ち伏せしていた新撰組数十名の隊士に襲われ、3名が斬られた。世にこれを油小路七条の変という。

伊東甲子太郎他三名殉難の地 本光寺
伊東甲子太郎他三名殉難の地 本光寺

同行の者と「今や普通の住宅地やけど、その日はえらい静かな中に怒号と悲鳴が飛び交い、ここら辺に住んではった人たちはどんだけ息をつめて戸締りをしっかりしてはった事だろうなあ」と当時の住民の気持ちで想像しながらえらい嫌な気持ちになっていました。当時は電話もなく警察組織にもすぐに連絡できずというか「警察組織に近い者たち」がお互い殺しあってるんだからどうしたらええのんか途方にくれるとはこの事やろな、と心より同情しました。

しかも朝の光景の悲惨な事・・・。想像に難くありません。南無阿弥陀仏。

さてさて、宣伝。

いったいどうした事かまだ赴けていないのですが、京都岡崎のみやこメッセの「京都伝統産業ふれあい館ギャラリー」にて「西陣金襴展~道具と技~」が開催中です。ほんまに早く行かねば!終わってしまう。

西陣金襴展~道具と技~
西陣金襴展~道具と技~