西陣 岡本のブログ

大阪 淀屋橋の御霊神社 ~西陣織の織屋が金襴をさがして

難波 御霊神社

京都西陣の金襴屋の西陣岡本のブログを読んでくださる方々どうもありがとうございます。

今日も金襴を探して歩き回りました。

大阪は京阪の淀屋橋を南に下がった御霊神社

「御霊神社」という神社は多いですね。
当社の氏神さんも御霊神社です。

難波 御霊神社

難波 御霊神社

 御霊さんには、どのような言われがあるのでしょう。

日本各地にこの名前の神社はあります。

その祭神、性格は色々で、御霊信仰に基づいて、ある人物の御霊、怨霊を鎮めるために造られたものや、5柱の神様(五霊)を祀る為のもの、産土神等を御霊として祀るもの。

御霊信仰とは天災などが起こった時に、そのあたりに恨みを持って死んで行った人がいはったときに災害などが重なると「これは、あの時左遷してしまったあの人の祟りに違いない。あの時に冷遇してしまった女性の祟りに違いない。」とその霊を怨霊とみなして鎮めるために祀る信仰です。

wikipediaには、我が氏神さんである「上御霊神社」が筆頭で例に出ていました。

御霊信仰の代表的な例としては、京都の上下御霊神社に祀られる神々である。
すなわち、「八所御霊」とされる上御霊神社の、崇道天皇(早良親王。光仁天皇の皇子)、井上皇后(井上内親王。光仁天皇の皇后) 、他戸親王(光仁天皇の皇子)、藤原大夫人(藤原吉子、伊予親王の母)、橘大夫(橘逸勢)、文大夫(文屋宮田麻呂) 、火雷神(菅原道真)、吉備大臣(吉備真備)で、他に伊予親王、観察使(藤原仲成もしくは藤原広嗣)、崇徳上皇・藤原頼長(宇治の悪左府)、安徳天皇、後鳥羽上皇・順徳上皇・土御門上皇、後醍醐天皇などである。
wikipedia

結局怨霊は生きている人たちの罪悪感なのではないでしょうか。

でも当社の北側には上御霊神社、南に下御霊神社があるのですが、御所に近い当社近辺は、陰謀渦巻く暗黒地帯だったのか?等と思ってしまいます。

京都では戦もありました。
平和に京都御所を散歩したりしている事が不思議になります。

ここは大阪淀屋橋、平野町。
ここの御霊はどのような意味なのでしょうか。

難波 御霊神社

難波 御霊神社

こちらの本殿には

  • 天照大神荒魂 (瀬織津比売神)
  • 津布良彦神 (旧攝津国津村郷の産土神)
  • 津布良媛神 (旧攝津国津村郷の産土神)
  • 応神天皇 (広幡八幡大神)
  • 源正霊神 (鎌倉権五郎景政公霊)

五柱祀られています。

難波 御霊神社

難波 御霊神社

五霊さんですね。怨霊系ではなかった。それだけで嬉しい。

日本の怨霊の大筆頭といえば、泣く子も黙る風神雷神、天下一の賢い男、菅原道真公でしょうか。

藤原氏に疎まれて大宰府へ左遷になり、風神雷神となり京の都に天災として襲い掛かり、都の人々を恐慌に陥れた貴人です。

そこで、大宰府や京都北野に「天満宮、通称天神さん」という神社に祀る事でその怨念を昇華させたのです。

一体いくつの「天神」神社があるのでしょうか。

いろいろな所で天満宮を見かけます。

「現在全国の神社総数約八万社のうち、天満宮の数は一万二千社を超えるといわれている。」

スサノヲさんのブログより–http://susanowo.ikora.tv/e3701.html

こちらのブログとても面白いです。 日本の神社の1.5割が天神さん!

スサノヲさんのブログを拝見すると、天満宮はもともと「天」の神様で農耕を営む日本人には大事な神様。

天の神様なので雷と共にやってくる大事な恵みの雨や、来て欲しくない洪水を生む大雨、などの為の神様で、それが京の都に被害をもたらせた雷が時期と重なって大宰府からの怨念に違いない=道真さんは雷神さん=天を満たしてもらえるように神様として祀ろうという、民衆の考えになってしまったのじゃないでしょうか。

道真さんの賢さにあやかろうと言う気持ちもあったのでしょうが、それだけすごい怨念のパワーを当時の人々は感じてしまったんでしょうね。

その時、道真の生まれたと言われる桑原町(現在の京都裁判所あたり)は雷被害が無かったと言う事で雷に出会ってしまっときは「くわばらくわばら」と唱えるとよいと言う事になったんだそうです。

御霊神社本殿の中に金襴はあるかな? 「幡」がありました。

見えるでしょうか。 上の画像の赤で囲ったものが「幡」です。旗のようなのぼりのような装飾布です。

下の画像は獅子舞の獅子頭。

難波 御霊神社

難波 御霊神社

本殿の前に変わった柱が4柱ありました。

本殿の前に舞台があるのは良く見ますが、こういう結界が張られてるのは初めて見ました。

大正と書いてありますが、ここも戦災にあったはずなのにな。

難波 御霊神社

難波 御霊神社

このような柱が4柱立っていてなにやらの結界を張っています。

難波 御霊神社

難波 御霊神社

くにゃくにゃとしなりを作る楠木。
戦前の木の筈なのに結構細めですね。

難波 御霊神社

難波 御霊神社

ここにもまた「大阪大空襲」の名残があります。

「肌まもりの木」
戦災で焼け焦げた境内の木々の中で唯一再生した「肌まもりの楠木」。今では青々と葉が茂り揉むと肌に良いとされています。

なんて健気な・・・。
人間の勝手な衝突で戦争になり楠木族としては戦争参加もしてないのに勝手に巻き込まれて一族郎党焼け死んでしまい自分も瀕死の重傷を負ったにも拘らず、今では神木と奉られてしまい、色んな人に触られるわ、葉を揉まれるわ。
そして人の肌を綺麗にする効能まで出してくれるなんて。

ありがと~。

難波 御霊神社

難波 御霊神社

 

太閤さんが大阪城を作りそれと共に政治経済の中心地として発展し諸大名が集まりこの神社にも寄進相次ぎ、色々なお宝があったようです。
その中で津和野の亀井氏がその家屋敷の土地を分けて寄進してくれたので文禄3年に圓江(現在の靱)という所から引越ししてこちらに鎮座しはったん。
その後商業金融の中心地の鎮守として商家の崇敬が篤く参詣者で大賑わいだったそうです。

今はもう門前も「門前」としてにぎわうと言う感じも無くひっそりとたたずんではりましたが・・・。

そして面白いのが昔は明治17年から大正15年まで人形浄瑠璃御霊文楽座といがあり文楽にも大貢献したそうです。
徳川末期から江戸初期には境内に常設小屋があり、今の幻燈に類する錦絵が掛かり上方芸術として大衆の好評をうけたと。

今ほど電気の無いたぶん一般市民はまだ提灯などを普段使いしていた頃、真っ暗な中に浮かび上がる幻燈は綺麗だったんだろうなあ。

今日の金襴:幡(ばん)でした。

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